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2016年2月

2016年2月27日 (土)

本当の愛は、キリストの犠牲的な愛

2016.2.27.  (土)本当の愛は、キリストの犠牲的な愛  

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 クリスチャンになって間もない頃、長野県のバイブル・キャンプに参加しました。説教者は東京から来られたAH牧師で、ギリシャ語、ヘブライ語が堪能な、ハワイ出身の日系3世の宣教師でした。彼は、新約聖書からは1コリント13章、旧約聖書からはイザヤ書2章から説教されました。イザヤ2章からの彼の説教は、今も私の耳に鮮明に残っています。「2:22鼻で息をする人間をたよりにするな。そんな者に、何の値うちがあろうか。」人間を信じて、頼り切ってはいけない。100%信頼できるのは、全知全能な神様だけだという趣旨だったと思います。

   私は、その頃、救われたばかりだったので、旧約聖書のことも、ユダヤのことも全く知識はなかった。しかし、いずれは死んでしまう人間を全面的に頼ってはいけないという警告は今も、私は助けられています。1コリント13章に関しては、愛の代わりにキリストと入れたらその意味が良く理解されると語られました。この愛を完全に実行されたのは、100%神であり、100%人間であられたキリストだけでした。クリスチャンになる前、高校時代にギデオンから頂いた対訳の新約聖書で1コリント13章を英語で学びました。その時は意味は全く理解できなかったけれども、英語が上達したいためだけの暗記でした。

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   2月7日(日)には、日系3世のJ兄弟が、1コリント13章から説教してくださいました。J兄は、カリフォルニア出身ですが、両親がハワイへ宣教師だったので、ハワイで育ち、両親の働きをおおいに助けてこられました。そのため、ベテルの働きにも理解を示し、私たちを助けてくださっている忠実なクリスチャンです。J兄は、米国の神学校で4年間牧師コースを学び卒業されました。 私は、彼の説教をいつも楽しみにしています。3月からは月1回、木曜日の祈り会でも聖書を教えてくださいます。アーメン! J兄も、2月7日の礼拝で、愛の代わりにキリストを入れたら、この箇所がとてもよく理解できると説教されました。それを聞きながら45年前に、AH牧師が語ったみ言葉がよみがえってきました。以下に1コリント13章を引用します。是非、読んで、じっくりと黙想していただきたいです。



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1コリント13章13:1-13節

13:1 たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。

13:2 また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。

13:3 また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。

13:4 愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。

13:5 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、

13:6 不正を喜ばずに真理を喜びます。

13:7 すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。

13:8 愛は決して絶えることがありません。預言の賜物ならばすたれます。異言ならばやみます。知識ならばすたれます。

13:9 というのは、私たちの知っているところは一部分であり、預言することも一部分だからです。

13:10 完全なものが現われたら、不完全なものはすたれます。

13:11 私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。

13:12 今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。

13:13 こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

(o^-^o)

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2016年2月26日 (金)

私がかつて信じていた先祖崇拝とユタの宗教の比較

2016.2.26.(金)

私がかつて信じていた先祖崇拝とユタの宗教の比較  (ノ_-。)



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 あるホームページに「35年間ユタをやっていて、キリストに出会い改心してクリスチャンになった」という謳い文句に引かれ、投稿された記事を読むと、本人のユタ時代の色々な体験談が紹介されており、私の興味を引いた。また、ユーチューブで、ユタからクリスチャンになったご夫人のお話を見て、初めてユタについて知ることができた。このご夫人が、「すべての沖縄の人にキリストを知って信じてほしい。」という言葉を聞いて、その熱い思いが私の胸を打った。

   約2年前に沖縄本島と石垣島、竹富島(上と右の写真)を、生まれて始めて訪問した。P5200173 空港に到着した時、自分の目で初めて見た沖縄の地に深く感動して、涙が止まらなかった。見るもの全てが初めてで新鮮であった。前から聞いていたように、沖縄には、あらゆる地域の宗教があることを知って、心が重くなると同時に、この素朴で素晴らしい人々に活ける真の神様が必要であることを痛感した。

   沖縄ではユタの力は根強いものがあるようである。多くの人が祖先崇拝を自分Yuyuy 達の宗教だと信じているようだ。そのため「ユタ半分、医者半分」という言葉が示すように、祖先崇拝の大きな支えになっているのがまさにユタの力である。「貴方の何代前に不足がタチョンドー」(何代前の先祖の供養がなされてない)と言われ、先祖の供養をすることとなる。それが色々な災難・祟りから逃れる道だと教えられているようだ。私には、ユタに関する知識は皆無に等しい。しかし、表面的ではあるが、類似点を探って見る。

   私が育った三河地方も非常によく似ている。私の家庭は、非常に貧しく両親はJyorei_photo01_2 朝早くから夕方まで、毎日働いていたので、祖父母に育てられて、いつも、先祖の供養をすることで、それが色々な災難・祟りから逃れる道だと教えられ、そのために、先祖崇拝、神社、仏閣、地蔵などにも信心深かった。我が家は、村のお寺の僧侶から特に目をかけられ、よく訪問され、私もお寺の子供会の会長などをよくやった。愛知県と沖縄では場所が違っていても、クリスチャンとなった私は、ユタの方々の信仰がおぼろげながらわかってきたような気がする。先祖供養が中心であり、祟りとかを恐れるのも、私がクリスチャンになる前に信じていた信仰と似ている。祖父母の口癖は、「先祖を大切にしないと罰が当たる。」であった。



   さて、元ユタだったこの方の話を聞きながら、キリストの神と沖縄の方々の考える神は全く違う神であることがわかってきた。沖縄の人々は先祖崇拝の神も、天地創造のキリストの神も、同じ神ではないかと、考える人が多いようである。しかし、実際はそうではない。キリストが示された真の父なる神と、ユタの神々と方向性が全く逆である。ユタが勧める拝みは、自分達に祟りが降り掛からないようにと祈願する。

    キリストの祈りは、罪人である人間が、自分の罪の刑罰から解放されることである。キリストは、私たち人間の罪の身代わりとなって十字架の上で死んでくださった。そればかりが、神であることの証明として三日目に墓からよみがえられ、40数日して天国へ戻られた。その3つのこと、キリストの死、ほうむり、よみがえりが自分の罪のためであったと信じるだけで永遠の命を持つことができると聖書は教えている。

   自分を犠牲にして私たち人間を罪から救いだして、生かす。それが真の神の愛であり、それを実践してくださったのがイエスキリストの十字架である。私も21才でキリストを自分の救い主と信じるまではキリストの愛が何であるか全く理解できなかった。新約聖書の福音が何を意味するのか理解できるようになって、キリストの愛、天地創造の全知全能の神の愛が理解できるようになった。

1ヨハネ4:9-10「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

   元ユタの方の話しに謙虚に耳を傾けると、クリスチャンとなった方々の果たすべき役割が何かが見えてくるような気がした。私も先祖崇拝を心から信じていた者として、ひとりでも多くの人にキリストの福音を伝える責任がある。ユーチューブでキリストの救いを証ししておられたご夫人の、「すべての沖縄の人がキリストを知って信じてほしい。」と熱く訴えておられる声が、私の心の奥底に何度もこだました。そこには、祟りや呪いからの真の解放があるからである。(写真下、愛知県三河湾)




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2016年2月23日 (火)

救いの証しと特別賛美

2016.2.21. (日) 救いの証しと特別賛美 

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(岩槻区の花ーやまぶき)

 当神学校のY兄の大学時代のクラスメートたちが当教会の礼拝に参加してくださImg_2961 いました。T兄(写真右)は、沖縄の小さな神学校を最近卒業し、母教会で説教の奉仕をしながら、ピザ屋さんでも働いています。K兄は、今は、休職中ですが、Y兄と沖縄のGバプテスト教会でバプテスマを受けました。他の二人は、求道中ですが、とても素直で良い青年たちでした。

   礼拝の中で、K兄とT兄が、どのようにクリスチャンになったかを証され、とても励まされました。T兄は、お母様がとても忠実なクリスチャンで、一緒に教会には通っていましたが、救いの意味が全くわかりませんでした。しかし、15歳の時に、福音、救いの意味がはっきりとわかり、救いを決心しました。それ以来、喜びの信仰生活を送っています。当神学校のY兄も、K兄も、T兄の証しと、生き方を通してキリストに導かれました。友を通して導かれらるとはなんと素晴らしいことでしょう。

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   M牧師の説教の前に、3人の証として、ファニークロスビーの「罪とがをゆるされ」という賛美をしてくれました。とても、力強く思いのこもった歌い方でした。この曲を作詞したクロスビー女史は、幼児の頃、医師の手違いで盲目になりましたが、友人の熱心な伝道によりクリスチャンになり、5000曲以上の賛美歌を書きました。T兄は、この曲の3節目が、自分の証であり、自分の心を一番表していると賛美の前に言われました。自分の信仰生活や、仕事でどんなに辛いことがあっても、自分が永遠の滅びから救われたことを覚える時、この賛美歌を心から歌うことができるのです。

3節 主のものとせられし わが身こそ Fanny_crosbyblack1_4
さちなれ 感謝なき日はなく
賛美なき夜はなし
ひもすがら証しせん よもすがら 
主をほめん 「みすくいは
たえなり みすくいはくすし」と

    Y兄も、K兄も、T兄により、救いへと導かれました。この3人が一緒にキリストを褒め称えることができたことは、私たちにとりなんという励ましでしょう。私たちは、この3人の兄弟たちが、神様におおいに用いられるように続けて祈っています。そして、K兄の神様の将来の導きも真剣に祈ります。4名の青年がはるばる沖縄から当教会を訪問してくれたことを心から感謝します。今年6月の神学校のカンファレンスに出席できるようにも祈っています。

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ヽ(´▽`)/

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2016年2月14日 (日)

長野正雄さんの生き方

2016.2.14.(日)長野正雄さんの生き方  (ノ_-。)

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 今日、礼拝のすぐ後で、「塩狩峠」の演劇を教会の皆さんと見に行きました。 この劇団の責任者のNさんは、40年前、キリストの福音を演劇を通して伝えたImage_2 いとこの劇団を始められました。劇団員(10名以下)は、ほとんどがボランティアで色々の地域から集まっておられます。Nさんは、この町で生まれ育ちましたが、東京で、映画監督になろうとN大学に行かれましたが、演劇を生涯の仕事と選ばれ、演劇伝道をされています。70歳を超えたと思えないほど、熱く語られました。

    劇では、初めから終わりまで、多くの聖書の箇所が出てきて、福音が非常にはっきりと伝えられました。世の終わりが近づき、人間の生があまりにもおろそかにされている時代に、生きるとは何かを明確に教えられました。家族、学校、社会、国が崩壊していく中で、キリストの福音こそが、その答えです。長野正雄さんの生き方をいろいろと調べましたが、以下のような記事を発見しました。是非、皆さんに分かち合いたいです。世が、バレンタインデーで、自己愛で、騒いでいる時、キリストの犠牲的な愛こそが、人間にとっての唯一の希望だと私は信じています。

ヨハネの福音書15:13

「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛はだれも持っていません。」

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ローマ人への 手紙5:6~8

「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のため には、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。 」

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    明治時代の終わり頃ですが、旭川(上、明治時代の旭川駅の写真)に長野政雄という鉄道028mnagano5 職員(庶務主任)がいました。彼はクリスチャンでしたが、大変信仰厚く、性格は極めて温容で人徳のある立派な人物であったと伝えられています。彼はその生活も実に質素で、洋服などもみすぼらしい服装であったと言われています。また、非常に粗食で、弁当のお采なども、大豆の煮たものを一週間でも十日でも食べていたほど質素であったそうです。というと、甚だ吝嗇(りんしょく)のように思われるかもしれませんが、そうではなく、国元の母に生活費を送り、神様に多くの献金をしていたと聞きました。そして、伝道にも熱心で、略伝を引用すれば、「其の立ちて道を説くや猛烈熱誠、面色蒼白なるに朱を注ぎ、五尺の痩身より天来の響きを伝へぬ。然るに壇をくだれば、あい然たる温容うたた敬慕に耐えざらしむ。」とあります。氏の人柄と信仰を垣間見ることのできる一文です。

    そして、長野政雄氏は、稀に見る立派な人格の持ち主であったのか、他の勤務地で問題のある怠惰な者、粗暴な者、酒乱な者など、どうにもならないような余され者が彼の所に回されて来ると、たちまち変えられ真面目に働くようになったと伝えられています。次のようなエピソードがあります。彼が札幌に勤務していた頃、職場にAという酒乱の同僚がいました。彼は同僚や上司からは無論のこと、親兄弟からも、甚だしく忌み嫌われていました。益々、やけになって酒を飲み、遂には発狂するに至ったとうことです。当然職を退かざるを得ないことになりました。Aの親兄弟は彼を見捨てました。ところが一人長野政雄氏は、親兄弟までに捨てられたAを勤務の傍ら真心をこめて看護し、彼に尽くしてやまなかったというのです。しかも、全治するまで、彼を看護し続け、上司に何度も懇願し、復職するまでに至ったのであります。まさに、愛の権化のような人格を持った人物であったのです。

    さて、このような長野政雄氏ですが、明治42年2月28日夜、鉄道職員として、その信仰を職務実行の上に現し、人命救助のために殉職の死を遂げたのです。その日の夜は、なぜか最後尾に機関車がついていなかったため、急坂を登りつめた列車の最後尾の連結器が外れ、客車が後退をはじめたのです。そのとき、偶然、乗り合わせていた鉄道職員の長野政雄氏がとっさの判断で、自らの体をブレーキ代わりにしようとして線路に身を投じて、自分の体で客車を止めたのです。そして彼は殉職し、乗客は救われたのです。何か、思わず身震いするような感動を覚えないでしょうか。「愛の大きさは、その人の払った犠牲の大きさによって量られる。」と言われますが、他人のために自分のいのちを捨てるほど、大きな犠牲はありません。

    彼は乗客を救うために身代わりになって死んだのです。この長野政雄氏の殉S19721227kanban3_2 職の死は、後々まで多くの人に感銘を与え、語り継がれました。長野政雄氏が塩狩峠において犠牲の死を遂げたことは、鉄道関係者、キリスト信者などはもちろんのこと、一般町民も氏の最後に心打たれ、感動してやまなかったと伝えられております。彼の殉職直後、旭川、札幌に信仰の一大のろしが上がり、多くの人が信仰に入ったと伝えられています。三浦綾子さんの小説は、多くの部分ががフィクションですが、長野政雄氏が、多くの乗客を救わんがために、自らの命を投げ出して、殉職したことは紛れもない事実なのです。

    ところで、これは非常に感動的な話ですが、今から約二千年前に、世界の歴史上、このようなこととは比較にならないほど、大きな出来事があったことをご存じでしょうか? それは、天地万物を創造された神の御子イエス・キリストが、神に背を向けて歩んでいる全人類の救い主として、この世にお生まれになられ、33年半の罪のない完全に聖よいご生涯を送られたのですが、最後に私たち罪人の罪のために十字架に掛けられて、私たちの身代わりに神の刑罰を受けて死んでくださったという事実です。これは、作り話ではなく、単なる宗教や道徳の話でもなく、人類の歴史上に現実にあったことなのです。この神のひとり子を自分の救い主と信じるだけで、永遠の命がいただけるのです。福音を信じるだけで誰でも救われるのです。聖書が示す福音とは以下の通りです。

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1コリント15:1-5「15:1兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。15:2また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、この福音によって救われるのです。15:3私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、15:4また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと15:5また、ケパに現われ、それから十二弟子に現われたことです。」

(o^-^o)

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聖書が教える本当の愛

2016.2.14.(日)聖書が教える本当の愛  (* ̄ー ̄*)



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第一ヨハネの手紙4章7節から11節

4:7 愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神をCrossthumb550x4122826221_2 知っています。

4:8 愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

4:9 神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。

4:10 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。

4:11 愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。

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(ガリラヤ湖)

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2016年2月 9日 (火)

年次総会が無事に終了しました。

そう2016.2.7.(日)年次総会が祝福のうちに無事に終了しました。

(*^.^*)

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エペソ書4:15-16「むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達することができるためなのです。キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」

  今日は、とても祝福された年次総会を持つことができて、皆様に感謝します。それは、多くの兄弟、姉妹の熱い祈りに支えらていたからです。まずは、Y兄とM兄を、当教会の教会家族として迎えることができました。家族が増えるということは何と嬉しいことでしょう。男性が女性よりも多くなってきました。教会が始まった頃には考えられないことでした。神に感謝します。

  昨年を振り返り、また、今年と、今後のビジョンを皆で確かめ合い、祈り合いました。神の恵みはなんと大きかったことでしょう。毎日、神の恵みを数えて、感謝して生きたいです。役員会の皆さんが周到に準備してくださったので、総会はとてもスムーズに進みました。今後の5年間で当教会が一番望んでいることは、先ほど、引用しました聖句の一部であるエペソ書4:16です。「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。

  使徒パウロは、1コリント6:19で、「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。」と教えています。これは、つまり、救われている一人一人の身体が教会であると言っているのです。その一人一人の集まり(集合体=有機体)が教会なのです。今年1年も、次の5年も、この一人一人の着実な信仰成長こそが、ベテルの成長につながります。

  昨年1年が、テロで始まりテロで終わりました。聖書の預言は、これからの世界Pray_for_paris_2 がどのようになっていくかが描かれています。そして、神の預言によりますと、1テモテ3:1ー5によると、「終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。」となっていくのです。

  「終わりの日」とは、この世の終わりが確実に近づいていると聖書は言っています。そして、「困難な時代」とは、今まで経験したことのないようなことが次から次へと起きてくるというのです。クリスチャンにとってもそうでない人にとっても、非常に困難で耐え難い時代だということです。今年一年も、難しい日々が続くでしょうか、イエス様の歩まれた道を模範として信仰の戦いを、真の神のにみ信頼し、委ね、従っていきたいです。ヘブル書12:2「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」

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  ビジョンとして祈りの課題として、宗教法人を取得すること、駐車場の拡張、会Photo_2 員の増加、100名以上が座れる教会堂などなどを祈って前進していきますが、やはり、一番大切なのは、「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ書4:16)です。

  キリストを信じて救われた一人一人が、以下のことを今年一年、毎日、実行できるように祈りで支えあっていきたいです。そして、最後に、キリストの再臨を待ち望みながら、救われていない家族、親戚、友人のために祈り、全力を注いでいきたいです。

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エペソ書4:32「お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」ガラテヤ書6:1-2「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。互いの重荷を負い合い、そのようにしてキリストの律法を全うしなさい。」

1テサロニケ4:16-18「4:16主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」

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2016年2月 1日 (月)

いよいよ今年の総会が近づきました。

2016.1.30.(土)いよいよ今年の総会が近づきました。         (◎´∀`)ノ


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(ミルトスの花、「わたしは荒野の中に杉や、アカシヤ、ミルトス、オリーブの木を植え、荒地にもみの木、すずかけ、檜も共に植える。」イザヤ書41:19)

     昨年1年も、神様の祝福を沢山頂いて、過ごすことができました。試練も多くありましたが、感謝することの方がもっと多かったです。神様はご自分の主権と摂理を持って、すべてを導いておらます。どうぞ、このお方に信仰を固くおいて毎日生きましょう。使徒パウロが、ローマの牢獄からテサロニケのクリスチャンたちに励ましたように、私たちも、神様に対して、喜び、祈り、感謝を忘れないようにしましょう。愚痴が出そうになった時、神様に感謝することを数えましょう。互いに励まし合い、祈り合い、慰め合いましょう。(1テサロニケ5章14-18)

「5:14兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。

5:15だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。Prayer_2

5:16いつも喜んでいなさい。

5:17絶えず祈りなさい。

5:18すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

    いよいよ、2月の最初の聖日礼拝の後で総会があります。昨年1年を思い起こし、感謝し、2016年に希望とビジョンを持って、パウロのようにイエス様という目標に向かって前に進んで行きましょう。会員の方は是非、祈り心を持ってよく準備してから出席しましょう。   (* ̄ー ̄*)



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