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2016年2月26日 (金)

私がかつて信じていた先祖崇拝とユタの宗教の比較

2016.2.26.(金)

私がかつて信じていた先祖崇拝とユタの宗教の比較  (ノ_-。)



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 あるホームページに「35年間ユタをやっていて、キリストに出会い改心してクリスチャンになった」という謳い文句に引かれ、投稿された記事を読むと、本人のユタ時代の色々な体験談が紹介されており、私の興味を引いた。また、ユーチューブで、ユタからクリスチャンになったご夫人のお話を見て、初めてユタについて知ることができた。このご夫人が、「すべての沖縄の人にキリストを知って信じてほしい。」という言葉を聞いて、その熱い思いが私の胸を打った。

   約2年前に沖縄本島と石垣島、竹富島(上と右の写真)を、生まれて始めて訪問した。P5200173 空港に到着した時、自分の目で初めて見た沖縄の地に深く感動して、涙が止まらなかった。見るもの全てが初めてで新鮮であった。前から聞いていたように、沖縄には、あらゆる地域の宗教があることを知って、心が重くなると同時に、この素朴で素晴らしい人々に活ける真の神様が必要であることを痛感した。

   沖縄ではユタの力は根強いものがあるようである。多くの人が祖先崇拝を自分Yuyuy 達の宗教だと信じているようだ。そのため「ユタ半分、医者半分」という言葉が示すように、祖先崇拝の大きな支えになっているのがまさにユタの力である。「貴方の何代前に不足がタチョンドー」(何代前の先祖の供養がなされてない)と言われ、先祖の供養をすることとなる。それが色々な災難・祟りから逃れる道だと教えられているようだ。私には、ユタに関する知識は皆無に等しい。しかし、表面的ではあるが、類似点を探って見る。

   私が育った三河地方も非常によく似ている。私の家庭は、非常に貧しく両親はJyorei_photo01_2 朝早くから夕方まで、毎日働いていたので、祖父母に育てられて、いつも、先祖の供養をすることで、それが色々な災難・祟りから逃れる道だと教えられ、そのために、先祖崇拝、神社、仏閣、地蔵などにも信心深かった。我が家は、村のお寺の僧侶から特に目をかけられ、よく訪問され、私もお寺の子供会の会長などをよくやった。愛知県と沖縄では場所が違っていても、クリスチャンとなった私は、ユタの方々の信仰がおぼろげながらわかってきたような気がする。先祖供養が中心であり、祟りとかを恐れるのも、私がクリスチャンになる前に信じていた信仰と似ている。祖父母の口癖は、「先祖を大切にしないと罰が当たる。」であった。



   さて、元ユタだったこの方の話を聞きながら、キリストの神と沖縄の方々の考える神は全く違う神であることがわかってきた。沖縄の人々は先祖崇拝の神も、天地創造のキリストの神も、同じ神ではないかと、考える人が多いようである。しかし、実際はそうではない。キリストが示された真の父なる神と、ユタの神々と方向性が全く逆である。ユタが勧める拝みは、自分達に祟りが降り掛からないようにと祈願する。

    キリストの祈りは、罪人である人間が、自分の罪の刑罰から解放されることである。キリストは、私たち人間の罪の身代わりとなって十字架の上で死んでくださった。そればかりが、神であることの証明として三日目に墓からよみがえられ、40数日して天国へ戻られた。その3つのこと、キリストの死、ほうむり、よみがえりが自分の罪のためであったと信じるだけで永遠の命を持つことができると聖書は教えている。

   自分を犠牲にして私たち人間を罪から救いだして、生かす。それが真の神の愛であり、それを実践してくださったのがイエスキリストの十字架である。私も21才でキリストを自分の救い主と信じるまではキリストの愛が何であるか全く理解できなかった。新約聖書の福音が何を意味するのか理解できるようになって、キリストの愛、天地創造の全知全能の神の愛が理解できるようになった。

1ヨハネ4:9-10「神はそのひとり子(イエス・キリスト)を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」

   元ユタの方の話しに謙虚に耳を傾けると、クリスチャンとなった方々の果たすべき役割が何かが見えてくるような気がした。私も先祖崇拝を心から信じていた者として、ひとりでも多くの人にキリストの福音を伝える責任がある。ユーチューブでキリストの救いを証ししておられたご夫人の、「すべての沖縄の人がキリストを知って信じてほしい。」と熱く訴えておられる声が、私の心の奥底に何度もこだました。そこには、祟りや呪いからの真の解放があるからである。(写真下、愛知県三河湾)




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