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2016年4月 5日 (火)

2016.4.5.(火) 二年に一度の宣教会議

2016.4.5.(火)2年に一度の宣教会議  (*^-^)

(ホテル近くに咲いていた水芭蕉とカタクリの花)

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   日曜日の夕方から始まった宣教会議は、すべての議題を有意義に話し合い、実りある時となりました。主から頂いた確かな召しを再確認しあい、みことばを聞き、祈り合い、励まし合いました。また、それぞれの地域の宣教師が、現状を報告し、また、将来のビジョンを熱く語りました。あと数年したら、新しい宣教師、二組が、加わってくださる予定です。主の尊い働きとビジョンがスムーズに彼らにバトンタッチできるようにお祈りください。また、新しい宣教師がさらに加わってくださるようにも祈りましょう。

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   今朝のディボーションは、Y師がヨハネ書1章前半から、み言葉を正しく伝えることの大切さを語ってくださいました。新改訳聖書、文語訳聖書、コイネーギリシャ語、ヘブライ語を交えて、熱気を持って教えてくださいました。使徒ヨハネが書いた、ロゴス、キリストとそのの教えの確実さと、進化論、唯物論を基礎にした世界観の曖昧さ、不確実さが語られました。どれほど多くの日本人が、不確実で間違った科学によって騙されているでしょうか。

ヨハネ書1:1-5

1:1 初めに、ことば(キリスト)があった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

1:2 この方は、初めに神とともにおられた。

1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。

1:4 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。

1:5 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。

   私たちクリスチャンは、福音を正確に、分かりやすく末信者の日本人の皆さんに伝える義務があります。そのためには、聖書を真剣に毎日学ぶ必要があります。宿泊したホテルの壁のあちこちに、Mという仏教者の、ファジー(曖昧)な短い詩が貼ってありました。それは、まさに、真理も偽りもはっきりさせない、自然体という考え方の詩でした。それは、白でもない、黒でもない、日本的なものの考え方、人生観でした。そこには、全く希望はありません。イエスさまは、「YesはYes、NoはNo!」であるべきだと教えられました。イエスさまご自身は、ヨハネ14:6で次のように主張されました。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」私たちも真理だけを語るべきです。

   私たちは、福音を曖昧に語るのではなく、ペテロが言ったように、「3:15むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。」(ペテロの手紙第一3:15)誰にでも、いつでもキリストにある希望を、弁明できようようにみことばをじっくりと学び、祈り、聖霊によりたのんで用意しようではありませんか。すべての救われたクリスチャンが、この世のファジーな教え(進化論、唯物論、物質第一主義など)に騙されることなく、聖書の教えに固く立って、確信を持って、福音を伝えていきましょう。私たちの会議のために祈ってくださりありがとうございました。

(* ̄ー ̄*)

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