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2016年4月18日 (月)

嵐のときにも (3/4)

2016.4.18.(月)嵐のときにも(3/4)

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信仰が試される

 信仰が困難によって試されます。 信仰とは何でしょう。 それは神にゆるぎない信頼を置くことです。 感謝なことに、神は、指の間からすり抜けてしまうような、つかみどころのないお方ではありません。 移動式標的のように、的の絞りにくい移り気なお方でもありません。 また、「かくれんぼ」をして遊んでいるかのように、じらしたりなさいません。神はご自身を明らかにされています。 神の約束、神の道、神の品性は明白に提示され、それらすべては不変であり、 確実な、 信頼できるものです。 試練に襲われ たときに、 しっかりとしがみつくことができるお方が、 神なのです。

 

信仰によって神の約束にしがみつく

 「わたしは決してあなたを離れず、 また、 あなたを捨てない」 (ヘブル 13:5)。 「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、 神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、 私たちは知っています」 ( ローマ 8 : 28)。 「その忍耐を完全に働かせなさい。 そうすれば、 あなたがたは、 何 一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります」 (ヤ コブ 1 : 4)。 たとえトンネルの向こうに光が見えなくても、 暗闇がますます深くなって、 失意のどん底にうめいていても、 みことば の約束は真理であり、 安定の源です。

信仰によって神のなさることにしがみつく

 このようなとき、 私たちはこう祈ります。 「天の父よ。 私は聖書を読んで、 あなたが今まで何を成し、実在の人たちにどう対応されたかを知っています。 あなたは、聖書のとおりのお方ですから、 私はこの試練の期間、 あなたにしがみつきます。 私はいじけません。 自分の浅知恵を働かせようとしません。 どうぞ、 みこころのときに、あなたの御業をなしてください。」 そして、信仰によって、 神のなさることにしがみつきます

信仰によって神のご性質にしがみつく

 コリント人への手紙第一 10 章 13 節には 「神は真実です」と 記されています。 私たちは信仰によって 「神は真実である」 という事実にしがみつきます。 神は事態が収束しそうな頃に現れて 「いや、 すまなかったね。 この3週間ほどバタバタしていて手が放せなかったんだ」 などと言うお方ではありません。 神のご性質 は、 心変わりがなく誠実で、 頼りがいがあります。 全幅の信頼に値します。 神は、慈しみ深いお方です。 正義そのもので(だから、 敵のことも委ねることができます)、 正しく、 恵みとあわれみに富んでおられます。 試練によって信仰は試されます。 それはまるで、 裁判所の証人台に立たされて、 神の約束、 神の御業、 神の性質を、 人生のどんな場面でも例外なく、 妥協なく、 全幅の信頼 を置いて対応することを実証してごらんなさい、 と迫られているか のようです。 煮え切らない態度ならば、 信仰の弱さを暴露したことになります。

忍耐が試される

 困難に対して 「信仰的な応答」 をするや否や、 忍耐が試され ます。 神に粘り強くしがみつくなら、 私たちは音を上げたり、 投げ出したりしません。 興味深いことに、 「忍耐」を表す英単語 「Endurance」 は、 「ヒュポ」 と 「メノー」 というふたつのギリシャ語からできています。 「ヒュポ」 は 「下」 であり、 「メノー」 は 「とどまる」 という意味です。 つまり、 忍耐とは、 神の働きが完了するまで緊張状態の下にとどまる力のことです。 私の家族はスイカ が好きです。 子どもたちは、 濡れたスイカの種を親指で上から少し押さえると、 テーブルの向こうまで飛んでいくことを発見しまし た。 そして、 お互いに種を命中させて遊んでいました。私たちの多くは、 この種のように試練に応じます。 問題がのしかかってくると 「神さま、ここから出して!今すぐ!」 と言います。 しかし、 神が 「ノー」 と言われたなら、 逃げようとはせず、 その にとどまり耐え抜きましょう。 信仰が忍耐を生み出すのですか ら、 信仰によって神のご臨在を主張しましょう。 人生に豊かな実 が結ばれるためには、 問題から逃げずに前向きであることが大 切なのです。

 試練のときは、 神に関する真理を具体的にリストアップして、 その根拠となる聖書個所を書き出すことが助けになります。 これ らの聖書個所を覚えたり、 そのみことばを祈ったりすると、 みこと ばの真理があなたの意識の中に深く刻まれます。 忍耐の本質は、 神に従い、 神を信頼し、 みことばの真理が自らの上に成就されるまで待つと誓って、 ぶれないことです。 恵みと成長と神の栄光を期待して待ち、 信仰に少しでも前進の兆しがあるなら、 喜びましょう。 自分の決意を定期的にチェックしましょう。 自分や自分の やり方に頼り始めていませんか。 自分で状況や人を操ろうとした り、怒ったり、恨んだり、人に辛くあたったり、赦せない気持ちになっ たりしていませんか。 それとも、 信仰によって神にしがみついて、 聖書が教えるように応答していますか。

服従が試される

 主にあって信仰を働かせ、 忍耐を働かせたなら、 次は服従を働かせることです。 「さまざまな試練に会うときは、 それをこの上 もない喜びと思いなさい。 信仰がためされると忍耐が生じるということを、 あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働 かせなさい。 そうすれば、 あなたがたは、 何一つ欠けたところの ない、 成長を遂げた、 完全な者となります」 (ヤコブ 1 : 2-4)。このみことばにある唯一の命令が 「忍耐を完全に働かせなさい」 です。 これは、 手術をするときと同じです。 外科医に手術が必要ですと言われたら、 「分かりました。 痛いでしょうけれど、 我慢します」 と言うでしょう。 私たちは医者を信頼し、 手術は最終的には自分の益になると信じます。 次のような場面を想像して みましょう。 あなたは手術室に運ばれ、 スタッフが準備をします。 外科医が入って来て、 鋭いメスの置かれたトレイのそばを通り過 ぎました。 看護師が医師の手に手袋をはめ、 メスの乗ったトレイを手元の台に運びます。 その時点で、 あなたは 「やっぱり、 やめた」 とつぶやき手術台から飛び降ります。 すると医者はメスを つかんで、 あなたを追い回し、 手術しようとします。

 こんなことは起きるはずはありません。 しかし、 神が人生の苦 難を通して私たちを成長させようとされるとき、 私たちはこれと似たことをして、 神をてこずらせるのです。 ですから、 ヤコブの手 紙 1 章 4 節は、 神のされるままにしていただきなさいと命じます。 私たちは、 手術台から飛び降りたい衝動をぐっと抑えて、 外科医である神を信頼し、 忍耐しなくてはなりません。 結果的には、 喜びと賛美をささげることになる、 と知っているのですから。

祈りに頼る

 そしてヤコブは 「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、 ...神に願いなさい」 (ヤコブ 1:5) と語り、 祈りなさいと勧めます。何をすべきか、 どう応答すべきかが分からないときは少なくありません。 そのときは、 御父のもとに行って知恵を求めましょう。 苦しみが深すぎて祈れないとか、 どう祈ったら良いか分からないとき もあります。 そのときは、 ローマ人への手紙 8 章 28 節を思い出 しましょう。 このみことばは、 聖霊が言葉では言い表せない思いやうめきを御父の前に持ち運び、 みこころに従って私たちのためにとりなしてくれると語ります。 苦難の中で祈るとき、 私たちは神 を見上げます。 問題に焦点を当てるのではなく、 神に焦点を当 てます。 全能のお方、 あわれみ深いお方、 正義のお方を見つ めるのです。

   祈りは、 私たち自身の姿も明らかにします。 困難の中で 「主よ。 山本さんと鈴木さんの問題をご存じでしょう。 彼らは...」 と祈り出すと、主が私たちをさえぎって 「彼らのことは分かっているよ。 でもまず、 お前のことを話そう」 と言われます。 祈りは、 「何一つ 欠けたところのない、 成長を遂げた、 完全な者」 (ヤコブ 1 : 4) となるために、 向き合うべき自分の課題を明らかにします。 神は いつも、「彼らのことは、 私に任せておきなさい。 さあ、 お前のことを話そう」 とおっしゃいます。祈っていると、 聖書の教えが心に浮かぶことがよくあります。 聖書のみことばと、 それをどのように適用すべきかが示されます。 これは神の知恵です。 神について、 私について、 神のみことば についての知恵です。 「あなたがたの中に知恵の欠けた人がいるなら、 ...神に願いなさい」 (ヤコブ 1 : 5)。 困難を乗り越える 簡単な方法はありません。 しかし、 正しい方法はあります。 それ は、 困難を喜びにすることです。 信仰を働かせ、 服従を働かせ、 知恵を求めて祈ることが正しいと知って困難を受け止め、 喜びに するのです。困難は神の目的に到達する道だ、 という信仰を持つためには、 自分自身の人生の目的が、 神の目的と一致していなければなりません。

   もし、 あなたの人生の目的が、 快適に暮らし、 みんなに好かれ、 幸せで、 貯金もあり、 欲しいものが買えることなら、 困難に希望を見いだすことはないでしょう。 あなたの存在目的は、 こんなものではありません。 神にとって最も大切なことは、 あなたの人格です。 金銭や利便性、 快適さではありません。 他人の幸福や永遠の価値のために、 あなたはどれほど貢献できるでしょう か。 その実力が、 神にとっての関心事です。 単に幸せに過ごす ことではありません。 私たちの試練の価値は、 私たちが困難の前と比べてイエス ・ キリストに似たものに変えられてきたかどうか です。 私たちの痛みは、 私たちを神の目的に至らせます。 神は 私たちの悲しみを無駄にはされません。

   苦しい状況に陥ったとき、 頭の中を様々な疑問が駆け巡りますが、 確かなことは 「誰」 と 「何」 に関する答えです。 「誰」 に ついて言えることは、 「私」 と 「神」 です。 神は私の内で、 また、 私を通して働かれます。 神は頼れるお方であり、 信用できるお 方です。 私の成長が完了して神のご栄光が実現するまで、神は、 御恵みをあふれるように注いでくださいます。「何」 について言えることは、 紛れも無い真実で信頼できるも のに関する私の知識です。 私たちは、 真実を受け止める以外の 非生産的で破壊的な反応を断固として退けます。 また、 神の力 強い御手によって、 試練は最終的には喜びに変えられると信じ ることを選びます。 私たちは、 過去の体験や自分の感情に支配 された反応を許しません。 そして、 真実だと信じていることに沿っ て応答をするようにします。 神に関する真実に信仰によってしが みつき、 試練を喜びと見なします。

   神の約束、 神のご性質、 神 の御業を信じ、 神のなさることに服従し、 試練のもとで知恵と忍 耐が与えられるように祈ります。 私の品性と実力が成長し、 神の 栄光が反映されるまで、 そうします。成長と栄光の原則は、 聖書の中に何回も示されています。 私たちを御子の姿に似たものとするために、 神は必要なことをなさ います。 これが、 新約聖書を貫くテーマです。 神の目的は、 私 たちを有能で役立つ者に成長させることなのかもしれません。 ま たは、 神の御国にリスクを持ち込まないように困難を用いておら れるのかもしれません。 「自分のことは自分でする」という姿勢が、 苦難によって、 「神によらなければ何もできない」 という姿勢に変 えざるを得なくなったとき、 私たちは成長するのかもしれません。 神の栄光が私たちを通して輝くのは、 敵の攻撃をすべて、 私た ちの内に働く神を証明するものに変えようと、 私たちが頑張るとき です。 そのとき、 私たちを通して神が働かれます。       

(◎´∀`)ノ

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