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2016年4月17日 (日)

嵐のときにも(2/4)

2016.4.17.(日)嵐のときにも(2/4)

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超自然的な方法

   3 番目の確かな事実は、 神には私たちを超自然的な方法で救い出す選択肢もあるということです。 コリント人への手紙第一10章 13 節の後半は、 「むしろ、 耐えられるように、 試練とともに脱出の道も備えてくださいます」 と語ります。 ペテロの手紙第二 2 章 9 節は「信仰のあつい人を試練から救い出す」 (新共同訳) と述べていますが、 私はこのみことばが好きです。 八方ふさがりで逃れる窓も扉もないという困難な状況に追い込まれても、神は私を救う道をすでに備えておられます。 神は脱出路を作るエキスパートなのです。 サウルに追われていたダビデは、 冷たい洞窟の中で神に叫びました。 「主よ。いつまでですか。 あなたは私を永久にお忘れになるのですか。 いつまで御顔を私からお隠しになるのですか。 いつまで私は自分のたましいのうちで思い計らなければならないのでしょう。 私の心には、 一日中、 悲しみがあ ります。 いつまで敵が私の上に、 勝ちおごるのでしょう」 (詩篇 13 : 1-2)。

   ダビデのように神に忘れられたと感じるとき、 私たちは自分で脱出の道を作りたくなります。 「そうだ、 こうしてみよう。 いや、 だめだ。 うまくいかない。 ああしてみよう。 いや、 これもうまくいかない。」 八方ふさがりで出口が見つからないように思えます。 目を見張るような神の奇跡によって、 イスラエル人たちはエジプトから救出されました。 しかし、 紅海まで来たところで、 追いかけて来るエジプト軍の砂埃を地平線の上に見たのです。 彼らの反応はどうだったでしょう。 「エジプトでは想像すらできなかった方法で、 神は救ってくださるに違いない。 あのときの十の災いを覚 えているか? あのような形で救済されるなど、我々は考えもしなかった。 今度はどんなことをしてくださるのだろう。 きっとすごい ぞ!」 このように言ったでしょうか。 いいえ。 実際は、 「エジプトに仕えるほうがこの荒野で死ぬよりも私たちには良かった」 と言っ たのです (出エジプト 14 : 12)。

 ところが神は、 彼らが夢にも思わなかったご計画を持っておられました。 神はモーセに言われました。 「なぜあなたはわたしに向かって叫ぶのか。 イスラエル人に前進するように言え。 あなたは、 あなたの杖を上げ、 あなたの手を海の上に差し伸ばし、 海を分けて、 イスラエル人が海の真ん中のかわいた地を進み行くようにせよ」(15-16 節)。この続きはご存じの通りです。海が分かれ、 イスラエル人は渡りました。 エジプト軍が後を追って入ると、 海は元に戻り、 彼らは石のように沈みました。 神の民は解放され、困 難は去りました。 神は正しい者を難局から救い出す方法をご存じなのです。

   クリスチャンになったばかりの婦人の相談に乗ったことがあります。 神に喜ばれる女性になりたいという願いを持っておられたので、 妻が夫のリーダーシップに寛大な態度で協力するということについて、 聖書のあちらこちらから学んでいました。 ある時、 彼女が言いました。 「先生、 大きな問題があります。 ダイニングセッ トを買おうと思い、自分のお金を今まで貯めてきました。 義母の持っているのと似たようなものが欲しいので、 中古品家具店を夫と一緒に見て回っているのですが、彼は上の空です。 気に入ったものがいくつかあったのですが、 夫は、 『ぼくは嫌いだ』 なんて言うんです。」 私は、 神の御業を忍耐強く待ちましょう、 と励ましました。 ところが次の週になると、 事態はかえって悪くなったと言います。 「夫は家具のことなんて、 どうでもよいのです。 フランス製の高級家具でも、 安物のリサイクル品でも同じです。 夫の興味は、 ソファーに座って新聞やテレビを見ることだけですから。」

   ところが、 二週間ほどたって、 彼女はこう言いました。 「先生。 信じられないことが起きました。 義母がダイニングセットを新調したから、 古いものをいらないかと尋ねてきたんです。」 神がいつもこのように働かれるわけではありませんが、 神の救済策が何通りもあることは明らかです。 私たちが苦しくても主に忠実であり、 忍耐をもって待ち続けるなら、 神のみこころのときが来ます。 そし て、 神の救済策は、 私たちが夢にも思わない方法です。

神の力

   4 番目の確かな真理は、 神の力は大変な状況の中で働いているということです。 すごく性能の良い車を持っている友人がいます。 その車に乗せてもらうと、 信号待ちのときに 「エンジンを かけて」 と言いたくなります。 この車は、 エンジン音も振動も全くないのです。 私が所有者なら、エンストしたと思ってエンジンキーを何十回も壊していたでしょう。 アイドリング中であることを示すタコメーターがなかったなら、 動力が作動していないと勘違いしま す。 神の力も、 問題解決に向けて作動中です。 しかし、 私たちは往々にして気づきません。 神の御業の痕跡が見えないこともあ ります。 ところが、 神の力は忙しく働いています。


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神の力は、 悪いものから良いものを生み出す

   神の力は少なくとも三方面で働いています。そのひとつは、ロー マ人への手紙 8 章 28 節が明らかにしています。 神の力は、悪いものから良いものを生み出します。 神の力とは、 最悪にひどい 状況を変化させ、 最終的には益を生み出すことができる驚異的なものです。 落胆したり失望したりしたときには、 創世記 37 章から 50 章までに記されているヨセフの物語を読んでください。 ヨセフは、 自分の家族に裏切られて奴隷に売られ、 エジプトに来ました。 ポティファルの家に仕え、 そこで地位を上げていきました。 すると、 主人の妻から日常的に誘惑されるようになりました。

   美しく官能的な妻を持つことは、 エジプト人にとって自慢でし た。 ポティファルは有力な官僚でしたから、 妻は絶世の美女だったでしょう。 夫は仕事で家を空けがちで、 彼女は寂しかったのかもしれません。 ヨセフは若くて凛々しく、 日々、万事を取り仕切っています。 ある日、 彼女は彼に取りすがり、 彼は逃げ出します。 神は言われました。 「ヨセフ、 よくやった。 私の心がよく分かっている。」

 

    ところが、 彼は三年間も投獄され、 誰からも忘れ去られてしまうのです。 (神はその間、 彼から高慢を取り去っておられたのかもしれません。) しかし、 神は、 みこころのときにヨセフを救い出し、 国王に次ぐ地位につけられました。その地に飢饉 (ききん) があり、 ヨセフを裏切った兄たちが食料を求めてやって来ました。 彼らの生命はヨセフの手中にあります。 後からエジプトにきた父が死ぬと、 兄たちはヨセフが仕返しのために自分たちを殺すのではと恐れました (創世記 50 : 15)。 彼らはヨセフの前にひれ伏しますが、 ヨセフは答えます。 「恐れることはありません。 どうして、私が神の代わりでしょうか。 あなたがたは、 私に悪を計りましたが、 神はそれを、 良いことのための計らいとなさいました。 それはきょうのようにして、 多くの人々を 生かしておくためでした」 (19-20 節)。 神の力は、ヨセフに起こっ た最悪の出来事を作り変えて、 良いものになさったのです。

   悪を益に変える神の力は、 あの十字架ではっきりと実証されました。 神の御子が犯罪者として十字架につけられました。 これほど不公平で、 残虐で、人として耐え難い瞬間が、 人類の歴史にあったでしょうか。 地獄では 3 日間、 大喜びです。 サタンが勝ちどきを上げました。 勝利の御子をやっつけたのです。 ところが、神はこの驚異的な悪を転じて、 素晴らしく良いものにされました。 それは、罪からの救いです。地獄は天国に取って代わられました。

   残念なことですが、 私たちは忍耐して待つことをせず、 自分なりにものごとを進めようとしがちです。 神が素晴らしいことをしようとしておられるのに、 私たちは復讐しようとしたり、 自分の意地を通そうとしたりで、 神の御業の邪魔をします。 私たちは 「罪を犯したことがなく、 その口に何の偽りも見いだされませんでした。 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、 正しくさばかれる方にお任せになりました」 (Iペテロ 2 : 22-23) というキリストの模範に倣わなければなりません。

神の力は、 私たちの敵を取り扱われる

   次に、 神の力は、 私たちの敵を取り扱われると言えます。 ヨセフは兄弟たちに 「どうして、 私が神の代わりでしょうか」 (創世記 50 : 19) と言いましたが、 この態度は適切です。 パウロは、「だれに対してでも、 悪に悪を報いることをせず、 すべての人が良いと思うことを図りなさい」 (ローマ 12 : 17) と教えました。 神は正義を行われるのだから、 兄たちに復讐するのは自分の役目ではないという姿勢は、真理の教えを実践しています。 「神さま、 彼らのことはお任せました。 どうぞよろしく」 と言えるなら、 私たちの心は自分の敵から解放されます。 そして、 神に倣うものとなっ て敵を愛せるようになります。

   聖書は語ります。 「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。 神の怒りに任せなさい。 それは、こう書いてあるからです。 『復讐はわたしのすることである。 わたしが報いをする、 と主は言われる。』 もしあなたの敵が飢えたなら、 彼に食べさせなさい。 渇いたなら、 飲ませなさい。 そうすることによって、 あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。 悪に負けてはいけません。 かえって、 善をもって悪に打ち勝ちなさい」 (ローマ 12:19-21)。 私の人生にトラブルを持ち込む人がいても、 神が、その人をふさわしく取り扱われると分かっているなら、 大らかな気持ちになれます。 そして、その人を愛せるようになります。

   イエスは言われました。「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』 と言われたのを、 あなたがたは聞いています。 しかし、 わたしはあなたがたに言います。 自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。 それでこそ、 天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。 自 分を愛してくれる者を愛したからといって、何の報いが受けられるでしょう。 取税人でも、 同じことをしているではありませんか。

   また、 自分の兄弟にだけあいさつしたからといって、 どれだけまさったことをしたのでしょう。 異邦人でも同じことをするではありませんか。 だから、 あなたがたは、天の父が完全なように、 完全でありなさい」 (マタイ 5 : 43-48)。問題は、やはり私たちが邪魔すること、 つまり自分の想いで動くことによって、 神の計画を阻害することです。 神は、 何が正義かという判断を下したり、 敵に復讐したりする能力を人に与えられませんでした。 ですから、 そんなことをしようとすると必ず失敗します。 これをきちんとする権利や力、そして知恵をお持ちなのは、 神だけです。

   私のところにやって来て、 夫の悪口を長々と述べ立てた婦人がいました。 結婚してどのくらいになるのかと尋ねると、 40 年以上だと言います。 私は、家庭を壊すような助言をするつもりはいささかもありませんが、 ひどい夫だと言い続けるので、ついにこ う尋ねました。 「おっしゃることが事実なら、なぜ今まで一緒にいたのですか。 別れようとは思わなかったのですか。 勧めるわけではありませんが、お考えが知りたいのです。」 彼女は言いました。 「とんでもない。 離婚なんて考えたこともないわ。」

   立派なことだと感心するのは早計でした。 話を聞き続けていくと、 彼女が夫を憎んでいることは明らかでした。 離婚してしまったら、 もはや夫を苦しめることができなくなるので、 別れずにいたのです。 敵をたたきのめす機会をひとつとして逃したくなかったのです。 私たちは、 もっとましな生き方に召されています。 私たちはトラブルの真っただ中で、 神を信じます。 神が私の敵に報いられると信じるのです。 そうすれば、 解放されて天の父に似た者となれます。 自分をのろう者を祝福し、 意地の悪い者のためにも祈り、敵を愛する自由を得ます。神の力がその人を最終的に、正しく裁かれるからです。

神の力は、 私たちを離さない

   さらに、 コリント人への手紙第二4章7~ 9 節には、 次のように記されています。 「私たちは、 この宝を、土の器の中に入れているのです。 それは、この測り知れない力が神のものであって、 私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。 私たちは、 四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。 迫害されていますが、 見捨てられることはありません。 倒されますが、滅びません。」

   嬉しいことに、私という存在は、神の目に高価で尊いものです。 私は崖っぷちに立たされるかもしれません。 しかし、神と正しく向き合い、 試練と適切に付き合うならば、 すべてを治める神 は素晴らしい御力によって、 どんなときも私を守ってくださいます。詩篇にはよく、神がその右の手で私たちを支えると書かれています。「神の右の手」 とは、力を表す旧約聖書的な表現です。 子どもの手を引いて歩くときのことを思い出してください。 子どもは理由もなく突然足を滑らせて、バランスを崩すことがあります。 しかし、あなたの腕の力が、その子を「破滅」から救うのです。 何と素晴らしい比喩でしょう。 私たちは、神の強い右の手に支えられて人生という道を歩んでいます。足を取られて転びそうになっても、 神の支えがあるので大丈夫です。 神の力は確実です。 私たちは結局のところ守られているので、完全な破滅に至ることは ありません。

神の支え

   5 番目の確かな真理は、神の支えです。 パウロは、コリント人 への手紙第二 12 章7~ 9 節で、「肉体のとげ」との闘いを語っ ています。 これを取り去ってくださいと 3 度も祈りましたが、 その願いは叶えられませんでした。 そこで、この苦しみが生涯続くこ とを受け入れました。 そして、自分の弱さの中に神の強さが表されるようにしよう、 と前向きに決意しました。 その結果、 パウロは発見したのです。 神の恵みは試練を生き抜くサポートとして、十分すぎるほどのものでした。

   長い牧会生活の中で、私は想像を絶する苦しみの中にいる人たちの傍らに立ってきました。 実際のところ、「すごいなぁ」と感心することが少なくありません。 自分だったら、どうすることもできなくなってしまうだろうと思います。 そんなとき、パウロの 「(神の) 恵みは十分である」(IIコリント 12:9)ということばが響いてきます。 神の恵みは、永遠の御腕のようです。 私たちを包み、私たちを支えてくださいます。 倒れそうになれば、その御腕がさっと前に差し伸べられ、私たちを受け止めてくれます。

   私たちが助けるに値するから、神の恵みをいただけるのでは ありません。 神の恵みは、 苦難のとき、そこにある助けです。 神の恵みはどれほどあるのでしょう。それが尽きてしまうほど、 大きな問題があるでしょうか。そんなものはありません。 ですから、 パ ウロは 「わたしの恵みは、 あなたに十分である」と神に語られた のです。

目的を達成するプロセス

   6 番目の原則は、神は困難を用いられるということです。 神は、 私たちの人生に目的を持っておられます。私たちの悲しみの体験が、無駄になることはありません。 神が許可された苦しみは、 神によって、神の目的のために用いられます。 聖書的な目的はふたつです。 ひとつは、私たちの成長 (ヤコブ 1 : 2-4)、 もうひとつは神の栄光です (ヨハネ 9 : 3)。 困難は周囲の人々の目 を引きつけます。 ヘブル人への手紙 10 章 33 節には 「そしられ苦しめられて見せ物にされたこともあれば、このようなめに会った人々の仲間にされたこともあった」 (口語訳) と記されています。

   あるクリスマス、 私たちの子どもに消防士の帽子のおもちゃをくれた人がいました。 電池で赤いライトが光り、サイレンが鳴る、いわゆるありがた迷惑なプレゼントです。 子どもたちはライトを点滅させ、サイレンを鳴らして家中を走り回るので、彼らの存在感は絶大です。 困難はこれに似ています。 困難に襲われるや否や、 ライトが点滅したかのように、みなが注目します。 さあ、絶好のチャンスです。 聖書的に試練に対処しましょう。私たちは 「見せ物」なので、私たちの内に働く神の臨在と力を見せることができます。困難は、神の栄光を現し神の強さを告げるステージです。

   私は、 ジョニー・エレクソン・タダという女性が、神を深く愛していると証しているのを見ました。首から下が麻痺しているのに、 車いすに座る彼女の顔は輝くばかりでした。 彼女はキリストに生かされて、 喜んで生きていました。彼女の試練は生涯続きますが、それでも、神が実在しておられ、満足を与えてくださり、不可能を可能にされていることは一目瞭然でした。自己憐憫 (れんびん)、いじけ、後悔は、苦しみに対する非聖書的な応答です。それとは対照的に、 ジョニーの苦しみは、神の臨在と力を証明し、神の栄光と恵みを雄弁に語っていました。 神の恵みと神の力が、リアルに現されていました。

   苦しみは、神の力を見せる舞台です。神の力は、奇跡的な救いという形で現れることもあれば、好転しない状況の中での赦しや平安という形で現れることもあります。 私たちは、ある特権を授かっています。 それは、試練によって 「見せ物」にされるとき、聖書的に試練に応答することによって、神の栄光を曇らそうとするサタンの企てを打ち砕くという特権です。 困難があるからこそ、神が礼拝されるにふさわしいお方であることを示せます。 困難があるからこそ、私たちは率先して神に従います。 痛みのただ中で、神の臨在と力と平安の現実を示すのです。 神の栄光を表すという目的にとって、痛みは欠かせないプロセスです。

   また、私たちの人格や生きる力が育つためには、痛みを避けることはできません。 ヤコブの手紙1章2~4節によれば、さまざまな試練は 「何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者」となるために役立つので、この上もない喜びと思うべきものです。どのようにして、試練が完全な者を作るのでしょう。ヤコブの手紙の続きを読むと、4 段階のプロセスが書かれていま す。 信仰が試され、忍耐が試され、服従が試され、そして祈りに頼ることが試されるのです。(次号に続く)

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