グレース・バプテスト神学校

グレース・バプテスト神学校 (略称 GBBS=Grace Baptist Bible School)のブログです。

269_2        さいたま市岩槻区にある単立バプテストの神学校です。全日本バプテスト・ミド・ミッション宣教師団 (略称BMMJ)によって運営されています。この神学校の目的は、「献身者と一般の信徒が聖書を知り、キリストに似る者とされ、聖書に従って奉仕するように神学生を訓練し、地域教会を力づけること」です。1981年に始まり、今年で34年目を迎えました。第1期から一番新しい卒業生たちまで、彼らは、海外と国内の宣教活動を忠実に行っております。
  神学校の聖書箇所は、ペテロ第一の手紙3章18節です。「私たちの主であり救い主Bible_school_3 であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。このキリストに、栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。アーメン。」   現神学生、全ての卒業生、全教師も生涯、み言葉を学び続け、  キリストに似る者として成長するようにと、この箇所を選びました。
  1960年代初頭から先輩たちが忍耐を持って蒔かれた福音の種2_timothy_2_gods_word_2 が成長し、日本全土にリバイバル(信仰復興)が起こることを熱く祈っております。日本のすでにある教Logo_2 会に後継者が与えられるためにも、もっと多くの献身者が必要です。今日まで、当神学校のために忠実に祈り、経済的に支え続けてくださっている地域教会の先生方、会員の皆様と、全ての主権と摂理をもって導いておられる活ける真の神、イエス・キリスト様に心より感謝しています。神様だけに栄光がありますように。
                                                (神学校のロゴ)
 
 
 
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  教会の住所は、さいたま市岩槻区宮町2丁目13−5です。神学校は、ベテル・バプテスト教会の2階の一部屋で、月曜日から金曜日まで、クラスが持たれています。Y兄、M兄、K兄は、忠実に学び、奉仕をしています。卒業までお祈りをお願いいたします。
 
 שָׁלוֹם
 
*当神学校は、モルモン教、エホバの証人、統一教会などの新興宗教とは、いっさい関係ありません。

2018年4月24日 (火)

新約聖書時代のユダヤ教世界

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 中間時代とは、intertestamental periodのことで、新約聖書と旧約聖書との間の時代のことです。英語で新約聖書はNew Testament、旧約聖書はOld Testament、その間でinter-testamental となります。新約と旧約との中間の時代のことを、縮めて中間時代と言います。

近年の傾向

 ただ、近年は学者たちの間で、第二神殿期という表現が好んで用いられています。中間時代と言えば、伝統的には四百年と相場が決まっていましたが、旧約聖書がいつ完結したか、伝統的見解に異を唱える学者が今は少なくないからです。

 さらに、旧約聖書と新約聖書との中間時代と言う以上は、新約聖書、つまりキリスト教の視点からユダヤ民族の歴史を時代区分することになるので、適切とは言い難いのです。というわけで、ユダヤ的視点から時代区分するには、第二神殿期という表現のほうがより適切です。

 最初にエルサレム神殿が奉献されたのは、ダビデの跡継ぎソロモンの時代でしたが、バビロン帝国が攻めてきて、エルサレムは陥落して神殿は破壊されました。バビロン捕囚から帰ってきたユダヤの民が再建したのが第二神殿。この第二神殿を、ユダヤの反乱を鎮圧したローマ軍が紀元七〇年に破壊しました。


 というわけで、「中間時代」と第二神殿期とは、ほぼ期間として重なってきます。



中間時代を学ぶ意義

 私たち福音派は、新旧両約聖書六十六巻こそが神からの啓示であり、誤りのない神のみことばだ、と信じています。ですから、旧約聖書と新約聖書との狭間の時代を学ぶなどというのは、福音派にふさわしくないと思われるかもしれません。

 しかし、旧約聖書と新約聖書との間には、ほぼ四百年の時間が存在します。日本の歴史で、江戸時代が三百年であったことを考えると、四百年は相当な時間経過であることが実感できます。

 実際、この四百年の間でユダヤ人を取り巻く環境は一変しています。ですから、新約聖書を読み、理解するうえで、中間時代を学ぶことは有益であると言えるのです。

ユダヤ教の諸派

 聖書の中で、サドカイ派の人たちが、死者の復活などあるわけがない、とイエスのところに来て詰問しています。サドカイ派とは、ユダヤ教内の一派で、死者の復活を信じないこと、創世記から申命記までのモーセ五書のみを聖書と認めていたことなど、顕著な特徴のある一派でした。

 ユダヤ教内には当時、サドカイ派以外にも、庶民に影響力のある一派としてパリサイ派がありました。死者の復活を巡って、サドカイ派とパリサイ派とは真っ向から見解を異にしていたのです。

 パウロは、身柄を拘束された際に、この両派の相違点を最大限活用しました。自分が取り調べられているのは、死者の復活に関することだ、と主張して、議会を混乱に陥れました。死者の復活を信じるか否かは大きな相違と思われますが、サドカイ派もパリサイ派も当時、ユダヤ教の内に位置づけられていたのです。

ユダヤ教の信仰

 一口にユダヤ教と言っても、新約聖書の時代には多種多様なユダヤ教信仰があったが、ユダヤ教の根幹は以下のようにまとめることができます。

 神は、唯一絶対であり、この神が天地万物を造られ、今も生きて被造世界を支配しておられます。神はアブラハムとその子孫を選び、ご自分の民とされて契約を結ばれました。この神と神の民との契約のしるしとして割礼を施すことが命じられ、後に、律法という形で神の民の行動規範がモーセに与えられました。神は、アブラハムとその子孫に約束の地を与えましたが、モーセの後継者ヨシュアの時代に約束の地を所有するためにイスラエル民族は、カナンに攻めいれました。そして、ソロモンの時代にエルサレムにあるシオンの山に神殿が建築されましたが、神の民はここで礼拝をささげ、定期的に主を祝う祭りを執り行うことが求めらました。

 以上を踏まえれば、多少の相違は容認されました。ある意味、ユダヤ教とはユダヤ民族の宗教でした。

熱心党について

 サドカイ派、パリサイ派以外にも、例えば、熱心党というユダヤ教の一派もありました。ユダヤ教原理主義者、右翼の過激派と言うと、わかりやすいかもしれません。

 熱心党の人々は、武装蜂起することこそが神に喜ばれることだ、と固く信じて疑いませんでした。神の民であるユダヤ人たちが異邦人・異教徒の支配下にいることは本来あるべき姿ではないと考えました。武器を持って、異邦人支配者たちに反乱を起こすことが神のみこころで、武力蜂起すれば神が必ずや助けてくださるに違いないと思ったのです。

新約聖書の理解が深まる

 以上、概観したように、ユダヤ人を取り巻く政治的、社会的、文化的環境は新約聖書の時代には非常に複雑になっていたが、中間時代を学ぶと、新約聖書の理解が深まり、当時の状況を手に取るように、鮮やかに描くことができるようになるのです

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ただキリストのために

コロサイ書1:14-18

1:14 この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。

1:15 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。

1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。

1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。

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ただキリストのために

主キリストが治めておられます。私たちはそれを大胆に断言します。
私たちの主キリストが治めておられます。
彼は万物の主です。なにものも彼の権威を損なうことはできません。
中国と日本における主の権益を損なうために世に出てきて

いるのは、霊の軍勢です。ですから、私たちは中国のために

祈りません。日本のために祈りません。
私たちは中国と日本におけるあなたの御子の権益のために

祈ります。
私たちはいかなる人も責めません。なぜなら、彼らはあなたの

敵の手の中にある道具にすぎないからです。
私たちはあなたの御旨のために立ちます。
おお主よ、暗闇の王国を粉砕して下さい。
あなたの教会に対する迫害があなたを

傷つけているからです。アーメン

W. Nee (1903-1972)

炎のランナーのエリック・リデルとスティーブン




ルカ6:27-35

6:27 しかし、いま聞いているあなたがたに、わたしはこう言います。あなたの敵を愛しなさい。あなたを憎む者に善を行ないなさい。

6:28 あなたをのろう者を祝福しなさい。あなたを侮辱する者のために祈りなさい。

6:29 あなたの片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。

6:30 すべて求める者には与えなさい。奪い取る者からは取り戻してはいけません。6:31 自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。

6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。

6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。

6:34 返してもらうつもりで人に貸してやったからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。貸した分を取り返すつもりなら、罪人たちでさえ、罪人たちに貸しています。

6:35 ただ、自分の敵を愛しなさい。彼らによくしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いはすばらしく、あなたがたは、いと高き方の子どもになれます。なぜなら、いと高き方は、恩知らずの悪人にも、あわれみ深いからです。

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 舞台は1924年のパリ五輪。ユダヤの血を引くハロルド・エイブラハムスと、スコットランドの宣教師を父に持つエリック・リデル。(上の写真)ハロルドは優勝候補の米国選手を破って、金メダルに輝きました。一方、敬虔なエリックは主の日の日曜日に走ることを拒否しました。出場種目を男子100メートルから男子400メートルに切り換え、世界新記録を達成、金メダルを獲得しました。

 映画には続きがあります。中国生まれのエリックは翌25年、宣教師として中国に戻りました。31年、満州事変が勃発。エリックは41年、家族をカナダに出国させ、中国に残ったが、43年、山東省の敵国人収容所に抑留され収容所でもエリックは聖書の勉強会を開き、瞬く間に10代の若者たちの心を魅了しました。その中に17歳のスティーブン・メティカフもいました。「汝の敵を愛せよ」と、エリックは熱くキリストの言葉を教えました。しかし、英国の敵である日本人を愛することなど不可能のように思われました。

 スティーブンの自伝『In Japan The Crickets Cry』によると、日本人の中国支配は凄惨を極めていました。西洋人は闇市で捕まっても1~2週間の独房入りで済んだのに、中国人は電気柵で首を吊るされ、見せしめにされたりしました。無抵抗の中国人漁師が日本軍の戦闘機に銃撃され、殺害されるのをスティーブンは間近で目撃したこともありました。

 そのような現状を目の当たりにしてスティーブンにより、「汝の敵を愛せよ」という言葉は理想に過ぎないと思われいました。「日本人、特に日本の憲兵を愛することなど現実的には不可能だ」というのがスティーブンの結論でした。そのとき、エリックは静かに語りました。「聖書には『汝を迫害する者のために祈れ』という言葉があります。私たちは愛する者、好きな人のために祈ります。しかし、イエスは、好きではない人(敵)のために祈りを捧げなさいと教えています。」

 そして、こう続けた。「人を憎むとき、あなたは自己中心的になります。祈りを捧げるとき、あなたは神中心の人間になります」スティーブンは伝説の金メダリスト、エリックと二度一緒に走り、一度だけ勝ったことがありました。エリックはスティーブンに「君のシューズはもう修理できないほど、擦り切れているね」と言ってランニングシューズを手渡しました。その三週間後の1945年2月21日、エリックは43歳の若さで天国へ召されて行きました。脳腫瘍だったのです。スティーブンはエリックからプレゼントされたランニングシューズを履いて棺を担ぎました。「日本人のために祈りなさい」。神の啓示を受けたスティーブンはエリックのバトンを受け継ぎました。いくら祈っても日本人の態度は変わらなかったけれども、自分の心から怒りや憎しみが消えていくことがわかりました。

 広島、長崎への原爆投下で、戦争は終わりました。スティーブンはオーストラリアに移住しましたが、日本を占領していたマッカーサー連合国軍最高司令官が1948年、宣教師を募っているのを知り、1952年、日本へ渡航しました。船には、朝鮮戦争に向かう英国兵300人が乗っていました。日曜日、将校から兵士たちに話をしてやってほしいと頼まれ、スティーブンはエリックの教えを説きました。「あなたたちは平和のために銃を取り、国連とともに戦って死ぬかもしれない。私は真の平和というエリックのメッセージを携えて日本に向かって行きます。」

M. Kimura

2018年4月23日 (月)

ユダ王国、ユダヤ人

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 ユダヤ人とは、もともと南のユダ王国の国民を指すものであった。しかし王国崩壊後に多くがバビロニア王国内に連れて行かれると(バビロン捕囚)、ユダ王国の末裔という血統による定義としてのユダヤ人という呼称が一般化した。それを示すようにユダヤ人という言葉が旧約聖書には約90回登場するのが、その全てがバビロン捕あ囚の後となっている。バビロン捕囚が始まって約半世紀後、ペルシア帝国によってユダヤ人たちは祖国への帰還が許され、紀元前6世紀終わりにはエルサレムにふたたび神殿が建てられ多くのユダヤ人がユダヤに戻った。しかし全員が帰還した訳ではなくペルシャに残ったり他の地域に移住したユダヤ人も多くいた。こうして世界各地にユダヤ人が住み始め、イスラエルに住むユダヤ人とイスラエル外(離散の地/ディアスポラ)に住むユダヤ人の2種類が各々の地で独自の発展を遂げていった。

 

 こうして多様化していったユダヤ人にとって大きな転機となったのがアレクサンダー大王(上の写真)の東方遠征である。これによってギリシャ文化とオリエントが融合したヘレニズムという考えがうまれたが、この文化圏では人種も生まれた地も宗教も全く違う何百万人が混在していた。そんな多民語族・多文化を抱えるヘレニズム文化圏では、ギリシャ的教育を受け共通語(コイネー)であったギリシャ語を話せばギリシャ人として認められた。これは、生まれた土地や血統によって決まっていた従来の定義法とは全く違う革新的な民族観であった。これによってエジプト人やペルシャ人、ユダヤ人であっても同時にギリシャ人でもいれるという、2つの民族的アイデンティティーを持つ形が可能となった。これは現在欧米では一般的な他重国籍や「…系~人」という表現が発祥した瞬間でもあった。

 ではこのヘレニズムがどのようにユダヤ人の定義に影響したのか。ヘレニズムによって民族についての新定義ができると、イスラエルを中心にヘレニズム文化圏に居たユダヤ人たちは他の民族と同じようにギリシャ人になるか否かを考えると同時に、自らの定義についても再考しなければならなかった。ギリシャ人とはギリシャ文化を受け入れた人の事である。この新しいギリシャ式定義法を用いると、ユダヤ人とは「ユダヤ文化を受け入れた人」となる。多神教社会であった古代を生きる彼らにとって自分たちのユダヤ文化とは一神教であるユダヤ教の事であった。こうしてユダ王国民でもその末裔という血統とも違う、「ユダヤ教を信じる者=ユダヤ人」という新しい民族の定義ができた。ヘレニズムの影響から「ユダヤ教を信じる者=ユダヤ人」という新しい定義ができると必然的にこんな疑問が生まれた-では私たちが信じているユダヤ教とは何なのだろうか? こうして自己定義の再考をしているうちに、その核心であるユダヤ教という自らの信仰についての再定義の必要性に直面したユダヤ人たち。こうしてユダヤ教内で宗派というものが生まれ始め、一神教という排他的側面もあり宗派間争いが激化していった。のちにキリスト教ではカトリックと正教会*の2つができたのだがユダヤ教でも2つの大きな宗派が起こり、紀元1世紀末までの約250年間にわたって宗派間闘争が続いた。(*16世紀には宗教改革が起こりプロテスタントができた。)1つ目は祭司家系など上流社会を中心にしたサドカイ派、もう1つは律法学者であったラビを中心としたパリサイ派である。祭司層の多くを擁したサドカイ派はエルサレムの神殿を中心に、学者であるラビや彼らの信奉者を中心に構成されるパリサイ派は律法を学ぶための宗教的教育施設(シナゴグやベイト・ミドラーシュ)を中心に独自の道を歩みました。また第三極としてエッセネ派も生まれ、彼らは終末の到来と悔い改めについて説き死海地方を中心としたユダヤ砂漠に閉鎖的な共同体をつくり、来るべき終末に備え修道院のような禁欲的生活を送っていました。

 このように「ユダヤ教とは何か」という質問から生まれた宗派間や宗派内での論争が巻き起こった時代にイエス・キリストが誕生された。またこの時代は、100年ほど続いたユダヤ人の王朝(ハスモン朝)がポンペイウス率いるローマ軍により終焉しローマの圧政に苦しんだ苦難の時代でもあった。このようにキリストの時代は、宗教・歴史的背景から終末や救世主を求めるメシア思想(旧約聖書で預言されていた)が高まった時代でもあった。

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ユダヤ人の主な風習

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■ユダヤ人とは誰か?

 

 よく、ユダヤ人とは誰かと問われる。簡単な質問のようで、それほど単純ではない。実際にいろいろの定義が挙げられたりする。現在、一番確かなのは、ユダヤ人の子供がユダヤ人ということである。それでは、ユダヤ人とは血縁集団かというと、必ずしもそうでもない。誰でもユダヤ教に改宗することによって、ユダヤ人の一員になる道がある。ユダヤ人の国と言われるイスラエルでも、ユダヤ人の認知が、時には社会問題になる。非ユダヤ人の婦人がユダヤ教に改宗した場合も、イスラエルではいわゆる正統派ユダヤ教(オーソドックス)以外はユダヤ教と認められていないから、保守派ないしは改革派のラビが認めた改宗ユダヤ教徒は、ユダヤ人ではないわけである。国外で改宗した改革派ユダヤ教徒がイスラエルの裁判所で、ユダヤ人と認められたというので、ビッグ・ニュースになったこともない。日本人の場合、日本の国籍をもつ人のことで、「日本人とは誰か」はあまり議論の余地はない。アメリカ人はアメリカの市民権を持った人のことだし、その他の多くの国民の場合もそうである。ところが、ユダヤ人と言われる人々は現在世界の隅々に住んでいるが、当然1つの国に属していたわけではない。長い間、ドイツに住み、あるいは東欧に、またエジプトにと言って、世界のあちらこちらの国に属し暮らしている。だから、国籍が同じ人々ではない。イスラエル国家が誕生してから、ユダヤ人なら誰でもイスラエル国に帰還すれば、その人にはイスラエルの市民権が与えられる。しかし、世界のすべてのユダヤ人が、イスラエル国民であるわけではない。アメリカ人のまま、あるいはイギリス国籍のみのユダヤ人も多い。(イスラエル以外に住むユダヤ人は、ディアスポラのユダヤ人と呼ばれている。)また、2000年前のユダヤ国家の子孫というように、現実的に家系をさかのぼれるわけでもない。また、それがユダヤ人の条件でもない。ユダヤ教に正式に改宗すれば、その人はユダヤ人となることができるからである。

■「ユダヤ人=ユダヤ教徒」なのか?

 

 この定義は、何世代も前ならば、あるいは適切だったかも知れない。しかし、現在ユダヤ人であってもユダヤ教を信奉しないと公言する人もいるし、無神論者だと平気で言う人もいる。歴史的には、ユダヤ教がユダヤ人のアイデンティティー(自覚、意識)を保ってきたのは事実である。それでも、真面目な学者の中にも、ユダヤ人を宗教的な集団だと定義するのに反対する意見を唱える人もいる。特に近代以後においてそうである。なぜなら、ユダヤ教を捨てた場合、つまりその戒律を守らない場合に、(いま多くのユダヤ人がそのとおり)ユダヤ人とは認めないとなると、大問題となる。レンズ磨きの哲学者スピノザは、その独自な思想のために、ユダヤ教の権威から破門された。しかし、彼がユダヤ人でなくなったとは言えない。19世紀ヨーロッパの啓蒙的なユダヤ人で、キリスト教に改宗する人々が出たが、彼らもユダヤ人と見られていた。

■ユダヤ人の定義

 

 その人が何を信じるか、どんな行ないをするかということは、ユダヤ人の定義には無関係だということをまず再確認しておく。ユダヤ人に共通しているのは、「ユダヤ人である」という意識をもつ点である。つまり自分がユダヤ的伝統の過去と結びついていることを意識していることである。「自分が、ユダヤ人であること(Jewishness)」は、それほど容易に説明できない概念であることを理解すべきである。それでは、何がなんだかわけが分からなくなる。現在もっとも一般的な定義を紹介すると、ユダヤ人とは「ユダヤ人の母親から生まれた人、またはユダヤ教に改宗を認められた人」というのが、イスラエルの帰還法(ユダヤ人と認め、国籍を与える法律)に規定されたユダヤ人である。父親がユダヤ人でも母親が非ユダヤ人の場合、子供はユダヤ人ではないと、ユダヤ法は定めている。母親がユダヤ人なら、確実にユダヤ人の血は受け継がれていくわけである。父親ではなぜだめか。子供の父親がだれかは母親以外は本当に分からないから、というのがユダヤ教の考え方である。また、ユダヤ教は家庭教育を重視するが、母親がユダヤ教を子供に伝える役目をになっているからである。イスラエルでは、ユダヤ人の認知が、時には社会問題になる。母親がユダヤ人でないので、イスラエル人であっても、ユダヤ人と認められない人が出てくる。

■アシュケナジーとスファラディー

 

 イスラエルに行くと、よくアシュケナジーかスファラディーかの区別があることを聞く。これは、ユダヤ人が祖国から離散して世界中に住むようになって以来、その祖先の出身地別に分類したときの区別である。アシュケナジーとは「ドイツ」という意味の古いヘブライ語で、ドイツや東欧に住むユダヤ人の子孫を指す。彼らの祖先は、紀元1世紀にまで遡る。当時のローマ帝国拡大と共にヨーロッパ辺境のライン川沿いまで移住していったことが知られている。ドイツやフランスにも居住区を作り、経済的には富み栄えたようである。アシュケナジーが歴史に登場してくるのは、中世以後である。キリスト教徒の迫害を受け、居住地を東欧・ロシアへと追放されたり各地に移動を余儀なくされたが、逆にユダヤ人の独自性が保たれて、世界のユダヤ人の中でも優れた文化を発展させ、やがて近代に指導的地位を得ていった。アメリカに渡ったユダヤ人の多くがアシュケナジーであった。また、イスラエル建国につながるシオニズム運動も、アシュケナジーが大きく担い推進させた。アシュケナジー・ユダヤ人は、イーディッシュ語という独特の言語を話した。イーディッシュ語は中世ドイツ語とヘブライ語の混じり合ってできた言葉である。スファラディーとは「スペイン」を指す言葉である。イスラム文化が栄えた時代に、その支配地のユダヤ人も豊かな文化や経済の花を咲かせた。もちろん、イスラム教文明の中で世俗的にも大いに活躍した。当時、地球上の最も進んだ文明がイスラム圏にあったのは、事実である。やがて、キリスト教徒にスペインが占領され、1492年、キリスト教への改宗を拒否したユダヤ人は追放された。地中海沿岸に散らされ、そして衰退していくイスラム文化圏の中で一緒に歴史の陰に隠れてしまったのが、スペインのユダヤ人の子孫、スファラディーであった。彼らはイスラム教徒とは、比較的平和共存して暮らしていた。スファラディー・ユダヤ人は、スペイン語とヘブライ語の混成語であるラディーノ語をつかっていた。しかし、今はすたれている。

 

■割礼

 

 割礼とは、男子の性器の包皮を切り取ることであるが、旧約聖書に男児は生れて8日目に割礼を受けなければならないと定められている。割礼というヘブライ語はブリットと言うが、「契約」という意味である。これは神とアブラハム(ユダヤ人の父祖)との契約を指していて、契約を守る印として割礼を命じられた。ユダヤ民族の子々孫々これを守れというわけである。割礼が随分古い慣習であることは確実である。イエス・キリストもユダヤ人として8日目に割礼を受けた。どうしてこの儀式が始まったのか。聖書の説明以外に、昔からいろいろな理由が述べられてきた。衛生上の理由からとか、禁欲に効果ありとか、様々に言われる。しかし、神とイスラエルとの契約という宗教上の理由が第一義だと思われる。紀元前2世紀の有名なマカバイの反乱は、支配者のギリシア人がユダヤ人に割礼を禁じたことなどから起こった。割礼の儀式は家族の大いなる祝いの日である。そしてこれこそユダヤ人の印だから、この話題なしにはユダヤ教の紹介は始まらない。割礼を施すのはもともとは父親の義務で、理想的にはアブラハムがイサクに施したように、父親がするのが理想である。しかし、これは外科手術には違いがないから、普通の父親が簡単にできることではない。一般に、割礼に精通した専門家(モヘールという)が父親の代理として施す。モヘールは手術に慣れ、子供の安全に気を配り、割礼の際の祝福の仕方もよく知っている。現代では病院で医者の手に委ねることもある。割礼式には父親とモヘールの他に、サンデック(名付け親)という役の人が出席する。ギリシア語に由来するこの語は、「子供と共に」の意だが、ゴッドファーザー(名付け親)とも理解されている。モヘールの助手として、子供を膝に抱き抱える。「バアル・ブリット」とも呼ばれ、式では大事な人である。式の最中、名付け親の隣に空の椅子が置かれている。これはエリヤの椅子と呼ばれる。エリヤという昔の預言者が割礼式にやって来て、危険から男児を守ってくれるというのが、ユダヤ人の言い伝えである。人の座らない椅子は、エリヤの象徴である。あるオリエント系のシナゴーグ(会堂)では、エリヤの椅子が会堂に置かれていたり、あるいは(間違って人が座らないために)高い所につってあったりある。このエリヤは旧約聖書に出てくる偉大な預言者の1人だが、新約聖書にも当時の人々のエリヤの信仰が書き残されている。それによると、イエス時代のユダヤの民衆が、「メシア(救い主)の到来前にエリヤが再来する」と預言した、マラキ書という預言書そのままに信じていたことが分かる。ちなみに、マラキ書の中でエリヤは「契約の天使」と呼ばれている(3:1)。契約は、ヘブライ語でブリット、割礼と同じ言葉である。割礼は確かに危険も伴うが、子供が誕生から成人に育つまでには、それ以上に多くの危険がある。並大抵のことではない。切実な親たちの、祈りにも似た気持ちが、エリヤの椅子の伝承を生んだのかもしれない。

■成人式「バル・ミツバ」

 

 ユダヤ教において、男児が一人前の成人と認められる年齢は13歳である。人生の最も大切な節目として、子供の成長を家族あげて祝う。バルとは、「子」という意味である(ヘブライ語のベンに相当するアラム語)。しかし「子」は子供の子ではなく、ある特色を持った人、あるいは特定の集団に属する人の意味である。ミツバはユダヤ教の律法上の戒律の意味である。だからバル・ミツバは、ユダヤ教の宗教上の「義務を負う人」という意味で、あらゆるユダヤ成人の男子をさす言葉である。バル・ミツバは「おきての子」と訳されたりするが、この訳は誤解を生みやすい。なぜなら多くの人は、バル・ミツバを13歳の少年にのみ限定して考えやすいのだが、13歳になってから大人の仲間入りをする、つまり「バル・ミツバ(義務を負う人)になる」というのが正しい言い方だからだ。ユダヤ教で成人という意味は、宗教的に一人前と扱われるということ、つまり自分の宗教的行為に対して責任を持つ者と見なされるということである。それで、ユダヤ教の会堂での礼拝には最低10人の成人男子(ミニヤンという)の出席が必要だが、バル・ミツバになるとその1人になることができる。また、会堂でのトーラーの朗読や祝祷の資格も与えられる。バル・ミツバとなる少年の家庭では、家族親族あげて祝う。普通、13歳の誕生日を迎えてから安息日を避けて平日、トーラーが朗読される日である月曜、木曜、新月の日などに行なわれるが、それは遠方からの親戚友人を招くのに都合がいいからだろう。もしあなたがバル・ミツバの式に招かれたとしたら、大変栄誉なことである。さて、安息日の会堂では、週毎のトーラー朗読に参加するのは成人男子のみに許された特権だが、バル・ミツバになった少年はその1人に指名される。そして、もっとも名誉なことは、その後の預言書の一部(ハフタラ)を朗読する指名をも与えられる(これをマフティルという)。ただし、どの儀式に加わるか、何をするかはいろいろの派や地方で若干の差がる。一方、父親はトーラーの祝祷に指名されて、「この子の責任から解き放したもうた方(神)に賛美あれ」と祈る。以後、子供は責任を自覚させられて成長を続ける。ところで問題は、ヘブライ語である。トーラーやその祝祷はヘブライ語で書かれているので、イスラエル以外に住む子供たちにとっては、バル・ミツバを迎えるために大変な準備が必要である。ヘブライ語でトーラーを暗記しなければならない。(写真上)

 女子の場合、12歳になると、バット・ミツバの儀式が行なわれる。バットは、ヘブライ語で娘の意。これは比較的最近の慣習である。女子と男子との差別を解消するために、できたようである。伝統に忠実な正統派の会堂では、バット・ミツバの式は行なわない。女子は、会堂での礼拝儀式に参加しないし、12歳になって行なわなければならない戒律もない。それだからといって、両親が12歳の娘の誕生日を喜ばないはずはない。家族あげてバル・ミツバ同様に祝う。

■結婚

 

 他の宗教の中には、聖職者が独身を通すことを求め、結婚生活を俗なものとする考え方がある。しかし、ユダヤ教では結婚の制度を神聖なものとして重んじている。結婚誓約式のことをヘブライ語でキドゥシン(本来「婚約」の意)と言うが、それはカドシュ(聖)という語源から由来することからも分かる。旧約聖書の初めのほうに「生めよ、増えよ、地に満てよ」(創世記1:28)という、神から人類への祝福の言葉が書かれていることは有名である。ユダヤ教の伝統では、結婚こそはこの神様の計画を成就する道だと信じている。タルムードは、花嫁と花婿と共に喜び祝うためには大切な聖書(トーラー)の勉強すら中断しなさいと命じている。それほど、結婚式を重んじているわけである。また、結婚は人が健全な生活を送るために基本的な制度だと見なされている。聖書に「人(アダム)が独りでいるのは良くない。彼の連れを造ろう」(創世記2:18)とあり、タルムードは「妻を持たない男は、喜びなく、祝福なく、幸福なく生きる」とまで言い切っている。(写真下)

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2018年4月21日 (土)

ヘブル語(ヘブライ語)

 
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 旧約聖書のほとんどがヘブライ語で書かれた。少しではあるがアラム語で書かれた箇所もある。 ヘブライ語は約2000年前のイエス・キリストの時代頃までは実際に話されていた言語であったが、その後ユダヤ人の離散等によって話されなくなってしまった。 新約聖書にも次のような記述がある。


使徒の働き21:40

「千人隊長がそれを許したので、パウロは階段の上に立ち、民衆に向かって手を振った。そして、すっかり静かになったとき、彼はヘブル語で次のように話した。」

使徒の働き22:2

「パウロがヘブル語で語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこでパウロは話し続けた。」

使徒の働き26:14

「私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』」

 新約聖書が書かれた時代以降、ヘブライ語はユダヤ教の宗教的言語として、聖書やミシュナー*(*ミシュナーとは、ソフリーム(前6世紀-後1世紀)、タナイーム(1世紀-3世紀)というユダヤ教指導者・ラビ群のトーラー(モーセ五書)に関する註解や議論。)などの研究、儀式、祈りのため、また違う地域に住むユダヤ人同士の交流のときのみ使われてきた。しかしイスラエルの建国と共に、ヘブライ語も現代に復活した。話されなくなった言語が、再び人々の日常の言語として復活したことは、言語学的にも「奇跡」と言われており、そのような例は歴史上、ヘブル語だけである。このヘブル語の復活に最も貢献した人物はエリエゼル・ベン・イェフダ(上の写真)である。 彼はユダヤ民族の再建には、ユダヤ国家と民族の言葉であるヘブル語に帰ることが必要と考え、1881年ロシアからパレスチナに移り住み、ヘブル語の再興のために努力した。  

 

 聖書のヘブライ語は、文法(特に時制)の面でも現代生活に使用するには様々な問題があった。 また、自動車、電気など聖書時代に無かった膨大な事物のヘブル名、日常生活に使う挨拶の言葉なども作る必要もあり、ベン・イェフダは大変な苦労をした。 しかし、ヘブライ語は新しく誕生したユダヤ共同体を一体化するのに、重要な役割を果たした。 現在でも帰還したユダヤ人の多くは、まずウルパン*という機関でヘブライ語学び、イスラエルの社会に溶け込んでいる。



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*ウルパンとは (ヘブル語:אולפן、英語:Ulpan)とは、イスラエルにおける各地においてヘブル語を母語としない者を対象として設置されているヘブル語教室である

 

 

 ウルパンはイスラエル国外において出生して発達しイスラエルへ「帰還」する際にヘブライ語を学習する必要に迫られたユダヤ人を主要な受講生として想定している。しかし、ウルパンの受講生はイスラエルへ「帰還」する意思がない留学生や外国人なども含まれている。ウルパンにおけるヘブラル語のレベルは、アレフ、ベイト、ギメル、ダレット、ヘイ、ヴァヴの6段階であり、アレフが一番平易な入門レベルであり、ヴァヴが一番高度なレベルである。そして、ウルパンにおける講義において、アレフやベイトのレベルでは、シャアル・ラマトヒールという新聞が教材として使用されている。ウルパンはヘブル大学などイスラエルにおける高等教育機関やキブツや街中などにおいて設置されており、ネタニヤにおけるウルパン・アキバは良質な環境のなかで楽しみながらヘブラル語を学習できるよう配慮されている。

2018年4月18日 (水)

アテネの使徒パウロ

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使徒の働き17:16-21

17:16

 さて、アテネでふたりを待っていたパウロは、町が偶像でいっぱいなのを見て、心に憤りを感じた。

17:17

 そこでパウロは、会堂ではユダヤ人や神を敬う人たちと論じ、広場では毎日そこに居合わせた人たちと論じた。

17:18

 エピクロス派とストア派の哲学者たちも幾人かいて、パウロと論じ合っていたが、その中のある者たちは、「このおしゃべりは、何を言うつもりなのか。」と言い、ほかの者たちは、「彼は外国の神々を伝えているらしい。」と言った。パウロがイエスと復活とを宣べ伝えたからである。

17:19

 そこで彼らは、パウロをアレオパゴスに連れて行ってこう言った。「あなたの語っているその新しい教えがどんなものであるか、知らせていただけませんか。

17:20

 私たちにとっては珍しいことを聞かせてくださるので、それがいったいどんなものか、私たちは知りたいのです。」

17:21

 アテネ人も、そこに住む外国人もみな、何か耳新しいことを話したり、聞いたりすることだけで、日を過ごしていた。

2018年4月17日 (火)

ギリシャという国、正教会について

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 ギリシャという国の第一印象的は、世界遺産に象徴されるエーゲ文明、古代ギリシャや、エーゲ海に面した暖かく、のんびりとした観光地のイメージが強い。古代ギリシャはヨーロッパ文明(政治、哲学、芸術)の源として、欧州や米国の過去としても認識されており、このことが近現代のギリシャの歴史に大きな影響を与えている。

 

  一方、古代ギリシャのイメージに反して、国家としてのギリシャは比較的新しく、1829年にアドリアノープル条約にて独立が承認され、1830年にバイエルン王国の王子オソン1世を国王に迎えて、ギリシャ王国として独立してからまだ180年あまりの若い国である。一定の地理的領域を持つ国家として統一されたのはこの時が初めてと言われている。

 

  古代ギリシャにおいてはアテネやスパルタなどの都市国家が存在する世界であり、中世においてはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の主な構成民族がギリシャ人で公用語もギリシャ語であった。ただしビザンツ帝国においては、ギリシャ人は自らを「ヘレネス」(ギリシャ人)とは呼ばず「ロミイ」(ローマ人)と自称していた。ローマ帝国の臣民であり、正教キリスト教徒でありギリシャ語話者であることがギリシャ人のアイデンティティであった。イスラム国家であるオスマン帝国の支配下でも、イスタンブール(コンスタンティノープル)に世界総主教座が置かれ、イスラム教徒を支配者とする枠組みにおける、ギリシャ語を話す正教キリスト教徒がギリシャ人であった。

 

  そのため、独立前のギリシャ人のアイデンティティは正教キリスト教徒にあり、多神教を祀った古代ギリシャ世界は異教徒の世界であった。18世紀西ヨーロッパからギリシャにも啓蒙主義が浸透し、自分たちが古代ギリシャ文明の正当な継承者であるという意識が押し出されてきた。

 

  歴史的には、独立した後のギリシャ王国、現在のギリシャ共和国の国民だけがギリシャ人ということではなく、地理的に広い範囲の人々が広義のギリシャ人ということになる。ギリシャの初代大統領カポディストリスは、イオニア諸島出身でロシアの外務大臣を務めた人物、現在のアテネ国際空港の名前にもなっているヴェニゼロスは、当時、オスマン帝国領だったクレタ島出身で、クレタ島がギリシャ領になったのはバルカン戦争によるものである。独立後、多くの「ギリシャ人」が、独立した国家であるギリシャに移住したり、トルコとの戦争の結果の強制的住民交換協定により強制的に移住させられたりしている。

 

  独立当初のギリシャの領土は現在よりも小さかったのだが、19世紀から20世紀はじめまで、コンスタンティノープル(現在のイスタンブール)を首都とするギリシャ国家の実現を目指した領土拡張運動がイデオロギーとなり、幾度かの領土拡張を経て現在の国土に至っている。

A.KT

 


正教会とは、(日本正教会のホームページよりそのまま引用)

 

 正教会は東方正教会とも呼ばれる。ローマ・カトリック教会やプロテスタント諸教会が西ヨーロッパを中心に広がったのに対し、キリスト教が生まれた中近東を中心に、ギリシャ、東欧から、ロシアへ広がった。20世紀になり共産主義革命による迫害を受け、多くの信徒や聖職者が世界各地に散らばって行ったが、その結果西ヨーロッパやアメリカをはじめ世界各地に教会が設立され、西方教会しか知らなかった人々にも伝道されるようになった。現在では移民や亡命者の子孫だけでなく、カトリックやプロテスタントからの改宗者たちも大勢出るようになり、欧米主導の現代文明の行き詰まりとともに停滞する西方キリスト教に刺激を与えている。日本へは江戸時代末期、函館のロシア領事館づきの司祭として来日したニコライによって伝道された。



キリスト教の土台

 

 イイスス・ハリストス(イエス・キリストの日本正教会訳)の十字架刑による死と三日目の復活という出来事を「神による人間の救い」として直接体験し、その証人として世界中に伝えたお弟子たちのことを特別に「使徒」と呼ぶ。正教会はこの使徒たちの信仰と彼らから始まった教会のありかたを、唯一正しく受け継いできたと自負している。正教会は中世西ヨーロッパの「スコラ神学」や近代の宗教改革とも無縁であった。キリスト教会は現在は多くの教派に分裂しているが、中世のある時期までは「一つの聖なる公なる使徒の教会」(ニケヤ・コンスタンティノープル信仰告白)としてほぼ一致していた。正教会はこの東西教会が一つにまとまっていた時代に、五世紀間にわたって合計七回開催された全教会の代表者たちによる会議(「全地公会議」325年~787年)で確認された教義や教会組織のあり方、教会規則、さらに使徒たちの時代にまでさかのぼることのできる様々な伝統を切れ目なく忠実に守り続けてきた。正教会と他の諸教会が「分裂」したのではなく、正教会から他の諸教会が離れていったというのが「教会分裂」の真相である。




 教義的には、人間の理解をこえた事柄については謙虚に沈黙するという古代教会の指導者(聖師父)たちの姿勢を受け継ぎ、後にローマ・カトリック教会が付け加えた「煉獄」・「マリヤの無原罪懐胎」・「ローマ教皇の不可誤謬性」といった「新しい教え」は一切しりぞける。またプロテスタントのルターやカルヴァンらのように「聖書のみが信仰の源泉」だとも「救われる者も滅びる者もあらかじめ神は予定している」とも決して言いはない。かたくなと見えるほどに、古代教会で全教会が確認した教義を、「付け加えることも」「差し引くこともなく」守ってきた。

 教会組織も、ローマ・カトリック教会のようにローマ教皇をリーダーとして全世界の教会がきちんと一枚岩に組織されたものではなく、各地域の独立教会がゆるやかに手を結びあっているにすぎない。しかし強力なリーダーシップがないからと言って、聖書解釈の違いや教会のあり方への理解の違いから無数の教派に分裂してきたプロテスタント諸教会とは異なり、正教信仰と使徒からの教会の姿を各教会がすすんで分かち合うことによって「正教会」としての一致を保ち続けてきた。

 


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*当神学校は上記の記事とは同意しない。

ヘブライ語



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■ヘブライ語の簡単な歴史

 

 ヘブライ語は、旧約聖書の時代に話されたユダヤ人の言葉である。紀元70年にローマ帝国によってユダヤ人の国が滅び、ユダヤ人は世界各地に散り散りになった。一方、イスラエルの土地は一部のユダヤ人が残っていたのも事実である。多くのユダヤ人は、離散した土地でユダヤ教を守り、コミュニティーを作って自分たちの伝統的生活を続けてきた。外国にあっても民族のアイデンティティーを守り続けたのである。彼らは、日常会話はその国の言葉を話しながらも、毎週土曜日ユダヤ教会堂(シナゴーグ)に行くと、ヘブライ語の祈祷文を読んでいた。ヘブライ語は日常会話からは絶えてしまったが、こうしてユダヤ人の生活の中に宗教用語として命脈を保っていた。また、国を失ってから2000年間、異なる土地に住むユダヤ人同士の共通語はヘブライ語であった。ヘブライ語は色々な文学作品、聖書注解などの中に生きていた。日常生活では死語となったヘブライ語に再び命を吹き込んだのが、エリエゼル・ベン・イェフダー*であった。19世紀末、ヘブライ語の新聞社を設立し、ヘブライ語協会を組織してヘブライ語の普及に努めた。彼の努力によって古代語が日常語として甦り、ユダヤ人の国造りに大きく貢献した。イフェーダーがヘブライ語を復活させてからまだ100年余りだが、ヘブライ語はイスラエルの公用語としてどこでも話される言葉となっている。

Bywork

*エリエゼル・ベン・イェフダー(אֱלִיעֶזֶר בֶּן־יְהוּדָה, ’Eli‘ezer bēn Yәhūdhāh, 1858-1922)は現代ヘブライ語復活の中心人物である。ロシア帝国領だったリトアニアからパレスチナに移り住み、ほぼ独力でヘブライ語を話し言葉として現代に復活させた。元の名前は、エリエゼル・イツハク・ぺイルマン(Eliezer Yitzhak Perelman)であったが、彼は自分の名前もヘブライ語にした。ベン・イェフダとは「ユダの子」(ユダヤ「ヤコブの子ユダ」が元、西岸南部)という意味である。彼の息子ベン・ツィオンは生まれて数年間はヘブライ語のみで教育され、約二千年ぶりにヘブライ語を母語として話す最初の人物となった。古代の言葉が復活して日常的に使われるようになったのは歴史上唯一の出来事であって、奇跡と呼べるものである。ベン・イェフダーが編纂を始めた全17巻からなるヘブライ語大辞典は、彼の死後に完成した。

■ヘブライ語は右から左に読む

 

 ヘブライ語の文字は右から左に読む。その昔、左手にノミ、右手にトンカチを持って石板に文字を刻んでいったため、右から書かれるようになったと言われている。最初は戸惑うかもしれないが、なれたら簡単だ。アラビア語などのセム語系の言葉も、同じように右から左に読み書きする。

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 יִשְׂרָאֵל  「イスラエル」

  ←←←←←

  ンパヤ

 יָפּן  「日本」

  ←←←

  ムーロャシ

 שָׁלוֹם  「平安」

  ←←←←←

■アレフベートは22文字だけ

 

 ヘブライ語のアルファベットのことを「アレフベート」と呼ぶ。これは最初の2文字 א (アレフ) と ב (ベート)からきている。「アルファベット」という言葉がギリシャ語の α(アルファー) β(ベータ)からきているのと同様である。

 ヘブライ語には英語のように大文字・小文字の区別がないので、この22文字を覚えるだけでよい。ヘブライ語にはなじみがないので、覚えるのに少し努力がいる。残念ながらここで挫折しています人が多いが、下記の22文字を完璧に覚えよう。そうすれば第一関門は突破である。

  א ב ג ד ה ו ז ח ט י כ ל מ נ ס ע פ צ ק ר ש ת

■これでヘブライ語が読める

 

 アレフベートの22文字はすべて子音なので、7世紀ごろ聖書ヘブライ語の発音を伝えるために母音記号(ニクダー)が工夫された。それは9世紀頃に完成し、現代ヘブライ語の発音は、9世紀頃のスペイン系ユダヤ人の発音に準じている。

 発音は、子音のアレフベートに母音記号(ニクダー)を組み合わせることによって表すことができる。たとえば、子音 בּ 【b】に母音記号 ָ 【a】が組み合わされると בָּ 「バ」と発音する。母音記号 ֶ 【e】が付くと בֶּ 「ベ」になる。これはローマ字と同じしくみである。

 アレフベートとニクダーさえ覚えてしまえば、どんなヘブライ語もローマ字のように読むことができる。

発音

無母音

ְ

発音は【エ】

または【ウ】

長母音

ָ

ֵ / י ֵ

י ִ

ֹ / וֹ

וּ

短母音

ַ

ֶ

ִ

ָ

ֻ

最短母音

ֲ

ֱ

なし

ֳ

なし

※母音の長短は、現代の発音ではほとんど区別がない。

※無母音は、音節の最初に来たとき【エ】、それ以外は【ウ】に近い発音になる。

■ヘブライ語の文字は全て子音

 

 上の通り、ヘブライ語の文字は主に子音を表し、それにニクダーが合わさって、はじめて正確な読み方がわかる。しかし、イスラエルでは一般にニクダーがついていない文で書かれている。

 例えば、上掲のイスラエルという単語は、ישראל ――すなわち YSR'L (母音記号を発音する文字)、と子音が並ぶだけである。これを読むときは、カンを働かせて頭の中で母音をつけ、יִשְׂרָאֵל (イスラエル)と発音する。

 とてつもなく難しいことだと思われるかもしれないが、しばらく勉強していれば自然とカンも備わってくる。また、知っている単語が増えれば増えるほど、より正確な読みをマスターすることがでる。

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十字架と祈り

 

 

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ヨハネによる福音書16:26

16:26

 その日には、あなたがたはわたしの名によって求めるのです。わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。

 私たちは十字架というものを、見上げていくべき目標と考えやすいです。十字架とは、私たちにとってただ一つのことを意味します。それは、私たちを主イエス・キリストに完全に結び付けることです。そしてこの一致は、祈りのうちにもっとも効果的に実現されるのです。

 「あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられる。」それなのになぜ求めるのでしょうか。祈りとは、神からの答えを受け取るためのものではありません。それは、神との完全な一致の場であるべきです。答が欲しいために祈るとしたら、私たちはいつしか神に向かって小言を言うようになるでしょう。

 祈りの答えはつねに与えられます。しかし、わたしの期待どおりに与えられるとは限りません。私たちが霊的にやきもきするのは、祈りにおいて主と完全に一致することを拒んでいるからででしょう。私たちは神が祈りに答えられるということをあかしするために、この地上に置かれているのではありません。神の恵みの生きた証人になるためなのです。

 「わたしはあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。・・・父ご自身があなたがたを愛しておられるからです」とあります。私たちは、この主の祈りの生涯に見られるような神との親密さに到達したことがあるでしょうか。私たちの主の犠牲的な生涯が私たちのうちに生きているでしょうか。

O. Chambers






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«「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。」キリスト