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2019年3月

2019年3月30日 (土)

キリストはよみがえられた

 

 

 

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墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。 ヨハネ5:28-29

 

 

 

 

 私は先日、「アナスタシス」という題名の古いフレスコ画に深く感動しました。 アナスタシスとは「よみがえり」という意味で、死を打ち負かしたイエスの大勝利を描いています。墓から出てきたばかりのイエスが、アダムとエバを棺桶から引き出して永遠のいのちに導いておられます。彼らの堕罪の結果としてもたらされた肉体とたましいの死が、キリストのよみがえりによって反転されたことを実に見事に表しています。この絵の素晴らしさは、何と言ってもそこです。

主イエスは十字架の死を目前に、やがて信じる者たちを新たな栄光のいのちへと呼び寄せてくださる日について、「墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます」と預言なさいました(ヨハ5:28)。

 

 

 

 

キリストが死に打ち勝たれたので、墓はもはや終着地ではなくなりました。もちろん、愛する人と死に別れることを悼み悲しむのは自然なことです。しかし、信仰に生きる人は、死の向こうに何の望みもない人たちのように悲嘆に暮れることはありません(Ⅰテサ4:13)。イエスが復活されたという事実は、すべてのクリスチャンがやがて栄光のからだをいただいて、墓からよみがえるという証拠です(Ⅰコリ15:42-44)。そして、「私たちは、いつまでも主とともにいることになります」(Ⅰテサ4:17)。ODB

 

 

 

キリストが生きておられるから、私たちもいのちを受けて生きる。

2019年3月29日 (金)

神のみ前で静まれ

 

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やめよ。わたしこそ神であることを知れ。―詩篇46:10

 

 

 

 

 母は礼拝中、指の跡が残るかと思うほど私の脚をぎゅっと押さえ、「じっとしていなさい」と小声で、しかしはっきり分かるように注意したものです。私は、教 会のような場所では落ち着きがないという典型的な男の子でした。そのため、長い間「静まって、わたしこそ神であることを知れ」というみことばを読むと、「そわそわするな!」と教えているのだと思っていました。

 

 

 しかしヘブル語の「静まれ」という単語は、頑張るのをやめることです。自分の手を休めて、神に介入していただき、神におまかせすることを意味しま す。私たちは、物をかき分けて進んだり、自らを守ったり反撃したりするのに手を使うので、これは興味深い表現です。手をだらんと落とすと、神を信頼しない かぎり、無防備で危ういように感じます。しかし「神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け」(1節)です。また「万軍の主はわれらととも におられる。ヤコブの神はわれらのとりでである」(7節)は真理です。つまり、じたばたせずに、神が御業を成されるのを待ちましょう。

 

 

 

 人生のどんな場面で困難に出会ったとしても、神の救いを祈りつつ辛抱強く待つなら、神の臨在と御力を信じて平安を体験することができます。神の御手があなたに代わって、忙しく働かれます。あなたの手を休ませましょう。

 

 

神の御手に問題をゆだねるなら、神は私たちの心に平安をくださる。ODB

2019年3月28日 (木)

私の意志ではなく、神のみ心で

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私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」と。―詩篇91:2

 

契約の箱(天幕の中に置かれ、神の御座を象徴するもの)をめぐっては、誰も彼もが勘違いをしていました。イスラエルはペリシテ人との戦いに敗れると、「契約の箱をわれわれのところに持ってこよう。そうすれば、それが…われわれを敵の手から救おう」と言って、シロヘ使いをやりました。

 

契約の箱がエベン・エゼルのイスラエル軍の陣営に到着すると、全イスラエルは大歓声を上げ、それがアフェクに陣営を張っていた敵陣まで聞こえました。するとペリシテ人には恐れが、イスラエル人には勇気が芽生えました。

 

 

 

ところが、これは勘違いでした。イスラエル人は、戦場に契約の箱を持ち込みましたが、またもやペリシテ人に打ち負かされ、神の箱は奪われました。一方、ペリシテ人は病に打たれ、彼らの偶像の神は倒れてしまいました。

 

 

 

ペリシテ人の信仰は偶像礼拝なので、あんな勘違いは当然かもしれませんが、イスラエル人は、もう少しましでなければならないでしょう。彼らは契約の箱の扱いについて、神の判断を仰ぐべきでしたが、そうしませんでした。彼らは、契約の箱が過去に戦場に運ばれたことを知っていましたが(ヨシ6章)、エリコを破ったのは契約の箱ではなく、神のご計画でした。イスラエル人はそのことを忘れてしまったようです。

 

 

 

私たちがいかなる財産や才能を持っていたとしても、神のご計画に沿って使わないなら、成功することはできません。神のみことばを学んでみこころを知り、方向性について祈り、神の導きを信じましょう(詩91:2)。信仰によって踏み出すときは、まずそうしましょう。

 

 

 

人は一部分しか見ることができないが、神は全体を見られる。

2019年3月25日 (月)

忍耐は真の品性を生み出す

 

 

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「患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。」―ローマ5:3-4

 

 幼い頃、裏庭の花壇でカタツムリを見ていた思い出があります。殻のついた身体、ベタベタしたお腹、そして、潜望鏡のように動く小さな目。私はこの小さな生き物にわくわくさせられました。しかし、何といっても不思議なことは、それがすごくゆっくり動くことでした。

 

 カタツムリは、どのくらいのスピードで進むのでしょう。ある研究によると、一時間に約120メートルほどだそうです。英語で「カタツムリのペースで…」と言うと、「ゆっくり」という意味なのですが、それもそのはずです。

 

 カタツムリはのろのろ進みますが、その長所は忍耐強さです。19世紀の偉大な説教者であるチャールズ・スポルジョンは、「忍耐によって、カタツムリは箱舟にたどり着いたのです」と想像力豊かに語りました。

 

 使徒パウロによると、忍耐は、人格成長のカギとなる要素です。彼は、「患難が忍耐を生み出す」(ロマ5:3)と言っています。そして、忍耐の上に品性と希望が生み出されるのです(4節)。「忍耐」と翻訳されているギリシャ語の単語は、「不動の、不変の、がまん」などという意味です。それは、多くの苦痛や苦難に耐えて信仰を貫いてきた人たちを指して使われました。

 

 あなたの歩みは逆境によって、カタツムリのペースになりましたか。元気を出してください。神は、早くゴールしなさいとは言われません。忍耐強く前進することを求めておられます。 ODB

 

「大きな成果は大きな忍耐を要する。」

2019年3月23日 (土)

正しいこと(善)を続けよう

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「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。」ガラテヤ6:9

 正しいことをすると、すごく疲れる場合があります。良かれと思ってしたのに「こんなことをして何になるのか」という結末です。最近、友人を励まそうと、よく祈り、よく考えてメールをしたのに、心無い返事を受け取って、そう感じました。「なぜこんなに誤解されるのか」と憤慨し傷つきました。

しかし思い出しました。「イエスがあなたを愛しておられるから…」と語っても、受け入れられるとは限りません。イエスに目を向けて欲しいと思って親切にしても突っぱねられたり、間違った方向に行かないように優しく諭しても無視されたりします。

 そのようなときは、ガラテヤ人への手紙6章を読みましょう。使徒パウロはまず、自分の行いをよく調べてみなさい、つまり、自分の言動についての動機を確かめるように促します。そして「善を行うのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。ですから、私たちは、機会のあるたびに、すべての人に対して、特に信仰の家族の人たちに善を行いましょう」と語りかけ、忍耐強く善を行うように励ましています。

神は、私たちが神のために生きることを願われます。そこには、祈ったり、神のことを語ったり、という「善行」も含まれています。そして、結果を出すお方は神です。


親愛なる神よ、聖書のみことばによる励ましを感謝します。頑張って良い行いを続けることができるように助けてください。


精一杯頑張って、結果は神の御手にゆだねよう。

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中間テストが始まりました

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 先週から中間テストが始まりました。二人の神学生は、福島県の郡山市のT先生の教会でみ言葉の奉仕を2ヶ月連続でしております。このような訓練の機会を与えてくださっている教会員の方々には感謝です。T先生は病いと戦っておられますが、とても前向きに生きておられます。T先生は当神学校創立当初から労しておられます。神学校教育には多大な重荷を持っておられます。今の神学生にとっては、中間テストは最後となります。テストは来週まで続きます。どうぞ、お祈りで支えてください。また、新しい神学生が与えられるようにもお祈りください。

主を待ち望む

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主は、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。 Ⅱペテロ3:9

 飛行機を乗り継ぐためにシャトルバスに乗っていると、運転手にバスを止めて待つようにと連絡が入りました。飛行機に乗り遅れるかもしれません。乗客のひとりは我慢できず、すぐに発車しなければ訴えてやると運転手に怒鳴りました。しかし、その時です。空港職員がブリーフケースを持って駆けてくると、怒っていた客に向かって、それを高々と掲げたのです。彼は嬉しそうに言いました。「お客さま、お忘れ物ですよ。先ほど、重要な会議に出るとおっしゃっていたので、きっと必要だと思いまして。」


 私はときどき、神に我慢できなくなることがあります。特に御子の再臨についてです。神は何を待っておられるのでしょう。世界には悲劇が多すぎます。大切な人が苦しんでいます。日常生活のストレスですら、いずれ訪れる神の解決にまさって大きいように感じます。


 しかしそんなとき、イエスに救われたばかりの人々の証を聞いたり、混乱の中で働いておられる神の気配を感じたりします。すると私は、あのシャトルバスでの出来事を思い出します。神はすべてをご存知ですが、私はそうではありません。大切なことは神のご計画であり、私は神を信頼すべきです。神は、まだ御子を知らない人々のために、猶予を与えておられるのですから


 「あなたが再臨される前に、ひとりでも多くの人が救われるように、忍耐して待っていてくださり、ありがとうございます。 私たちも忍耐できるように助けてください。」ODB

2019年3月12日 (火)

神を待ち望む

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「私は主を待ち望みます。私のたましいは、待ち望みます。私は主のみことばを待ちます。」―詩篇130:5

 子どもは忍耐が苦手です。「今すぐ、デザートが食べたい!」とねだったり、「まだ着かないの?」と尋ねたり、宅配便が届いたら、すぐに開けたがったりします。しかし、年齢を重ねるにつれ、私たちは待つことを学びます。医学生は医師になる日を待って励みます。家出息子(娘)の親は、子どもの帰りを祈り心で待ちます。私たちは待つ価値があるものを待ち、その過程で忍耐を学ぶのです。

 神は時を越えた存在で、私たちに「大人の信仰」を要求されます。それで、私たちの願いがなかなかかなわない、試練と感じられる状況が与えられるのでしょう。忍耐できるということは、大人のあかしです。また忍耐は、時間の経過がなければ培われません。

 

 聖書に記されている多くの祈りは、「待つ」という行為から生まれています。ヤコブは妻となる女性のために、7年間待ちました。そして彼女の父親にだまされ、さらに7年間働きました(創29:15-20)。イスラエルの民は、400年のあいだ救出を待ちました。モーセは、同胞を助けるまでに40年間待ち、彼らを約束の地に導くまで、さらに40年間待ちました。詩篇の作者は「私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます」と語ります(詩130:6)。夜警の仕事が終わるときを、今か今かと待ちわびている光景が思い浮かびます。

 私は祈ります。試練に見舞われても、脱出の道を期待し続け、希望を持ち続け、神を信じ続ける忍耐が与えられますように。辛抱強く忍耐できますように。

神は大いなるわざを急いでなさらない。

2019年3月 8日 (金)

神の約束を待ち望む。

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サムエルはサウルに言った。「あなたは愚かなことをしたものだ。あなたの神、主が命じた命令を守らなかった。―Ⅰサムエル13:13

 サンフランシスコで車の渋滞に巻き込まれた男性が、しびれを切らして隣の車線に移りました。そして、停車している車の列を追い越して行こうとしました。ところが、この車線は工事中で新しいセメントが敷かれたばかりです。男性のポルシェ911は、セメントの泥にはまって動かなくなってしまいました。彼の短気は非常に高くついたのです。

 聖書にも、忍耐できなかったために高い代償を払った王の話があります。イスラエルの王サウルは、ペリシテ人との戦いを目前に控えて、神の祝福を得ようと思いました。ところが、いけにえをささげるはずのサムエルが予定どおりに到着しません。サウルは忍耐することができず、しびれを切らせて神の命令に背いてしまいました(Ⅰサム13:8-9、13)。遅れに我慢できない性格が、サウルを自分は律法以上の者だと勘違いさせました。そして、祭司にしか許されていない奉仕を行ったのです。神の教えに従順でなくても何とかなると思ったのかもしれませんが、それは間違いでした。

 到着したサムエルは、サウルの不従順を批判し、その罪のために王国を失うだろうと預言しました(13-14節)。サウルは、神のご計画が実現されていくのを忍耐して待つということを拒絶して急ぎ足で行動し、大きな失敗を犯しました(箴19:2参照)。サウルの忍耐の無さは、彼の不信仰を顕著に現していたのです。

神のみこころの実現を忍耐強く待つなら、主がともにいて導いておられることは明らかにされてきます。

忍耐とは、神の時を待ち、神の愛を信頼することである。

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2019年3月 4日 (月)

神は真の慰め主

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「私たちがあなたがたについて抱いている望みは、動くことがありません。なぜなら、あなたがたが私たちと苦しみをともにしているように、慰めをもともにしていることを、私たちは知っているからです。」 Ⅱコリント1:7

 友人の自作の器が配送中に壊れ、大小の破片や土の粉になった。私は夫に破片をくっつけてもらい、飾り棚に並べた。この器のように、私にも多くの傷跡がある。それは、神が許された試練を乗り越えて立っていることを証明する傷である。この器を見ると心が癒される。そして、神が私をどう取り扱われたかを分かち合うことが、今、苦難の中にある人々の助けになると今また、教えられた。

 使徒パウロは「慈愛の父、すべての慰めの神」と神をほめたたえた。神は、試練や苦難を用いて、私たちを主に似た者に作り変えられる。また、試練のの中で与えられた慰めは、試練の中にいる人を励ます力を与えてくれる。

 

 キリストの苦しみに思いを馳せるなら自分の痛みに耐えることができる。また、この経験によって、忍耐し辛抱できる強い人に成長させていただけると信じられる。使徒パウロは神が彼の試練を無駄にされず、神の栄光に用いられると知っていた。そのように信じるなら、私たちも慰められる。私たちは神の慰めをあかしして、傷ついた人々に安心を届けることができる。

 「主よ、苦しむ人に慰めや励まし、希望を届けるために、私たちを 用いてくださり感謝します。私の試練を通して、あなたが過去、 現在、そして、将来になさること全てのゆえに、御名をたたえます。」

神に慰められた体験を分かち合う人は慰めの器として用いられる。

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神は全てを支配しておられる。神に信頼しよう。

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Ⅰコリント10:13

「あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。」

 神が凄いことをされたという証を聞いて、心が揺れるときがある。祈りがきかれたことをともに喜ぶ一方で、自分には最近、驚くような神の御業が無いなぁと思ったりもする。

 神がアブラハムのところに来られたように、私たちの前にも劇的に現れてくださるなら、もっと信仰深い人になろうと鼓舞されるのに、と考えるかもしれないしかし、神がアブラハムに出現されたのは、12年から14年に一度の割合で、彼の人生の大半は平凡な日常であった

 神の御業は通常、平凡な日常の舞台裏で起こる。今日のみことばは、「あなたがたを、耐えられないほどの試練(誘惑)に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに(誘惑に出会っても)脱出の道も備えてくださいます」である

 神は毎日、サタンの猛攻撃から私たちを守っておられる。そして、誘惑に出会っても、逃げ道を作ってくださる。夜寝る前に、神がその日、平凡な生活の中で成してくださった驚くべき御業を思い巡らして、感謝するときを持とう。神が私にも凄いことをしてくださったら良いのに、と思うのではなく、神に感謝しよう。すでに凄いことをしてくださったのだから。

 主よ、普通のときにも、あなたのご臨在と御力が 私とともにあると、常に意識していられるように助けてください。私が全く知らないところで、私のために驚くような 御業を成しておられることに感謝します。普通の日であっても、神は常に舞台裏で、 すべてを掌握し、管理しておられる。

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(注)聖書の啓示が閉じられた現代において(旧・新約聖書が完成した)、神はアブラハムの時代のようには目に見えるような形では働かれない。

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