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2019年5月

2019年5月25日 (土)

死まで忠実でありなさい。

 

 

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「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない……死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう。」

―ヨハネの黙示録2:10

 

 

 

 イギリスのリバプールにあるウォーカー・アート・ギャラリーには、古代都市ポンペイの忠実な護衛兵の絵があります。この絵は、考古学者が発掘したポンペイの遺跡から見つかった、火山灰に埋もれた完全武装のローマ兵を題材にして描かれました。紀元79年のベスビオ火山の噴火によって、ポンペイの人々と町は、一夜にして灰に埋ずもれました。この「死に至るまで忠実」という絵画は、何もかものみこんでいく火砕流を前に、この兵士が持ち場を離れず、寝ずの番をしていたことの証です。

 

 

 

 一世紀にイエスのために迫害されていたスミルナの教会は、死に至るまで忠実であれというチャレンジを受けました。彼らが信仰のために迫害されていることを、神は知っておられました(黙2:9)。そして、さらなる苦しみが来ようとしていたとき、イエスは「あなたが受けようとしている苦しみを恐れてはいけない。見よ。悪魔はあなたがたをためすために、あなたがたのうちのある人たちを牢に投げ入れようとしている。…死に至るまで忠実でありなさい。そうすれば、わたしはあなたにいのちの冠を与えよう」と励まされました(2:10)。

 

 

 

 神は、私たちの今の状況も将来も、すべてをご存知です。この世にあっては試練がありますが、神の子どもたちには永遠のいのちの約束が与えられています。神の力によって、私たちは死に至るまで忠実であることができます(ピリ4:12-13)。ODB

 

 

「私たちの信仰が試されるときこそ、神のご真実を信頼するときだ。」

2019年5月12日 (日)

「聖さを求めること」を最優先する

 

 

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「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」ヘブル書12:14

 

 

「あなたは今、幸せですか、人生を満喫していますか、仕事に満足していますか。」というアンケート調査はよくありますが、敬虔ですか、聖(きよ)いですか、と尋ねるアンケートは見たことがありません。あなたなら何と答えますか。

 

 

 

 ある聖書辞典は、聖化を「神のために聖別され、それにふさわしい行いをすること」と定義します。作家のフレデリック・ビュークナーは人格について、聖化ほど実際の姿を描写するのが難しいものはないと言い、また「聖化は、『徳』のような性質ではありません…人がどうこうできることではなく、神が人になさることです」と述べました。

 

 

 

 聖書は「私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」と語り、キリストを信じる信仰によって驚くべき賜物が与えられると伝えます。自分を満足させようという古い性質に従わず、キリストに従順に自分を明け渡すなら、毎日、聖化が起こります。聖書は「しかし今は、罪から解放されて神の奴隷となり、聖潔に至る実を得たのです。その行き着く所は永遠のいのちです」と語ります

 

 

 

あなたは日々、聖化されていますか。神の恵みと力によって「そのとおりです」と答えることができますように。イエスの品性とは何でしょう。その品性をますます私のものにするためには、私は主に、どう向き合っていけばよいのでしょう。

 

 

「聖化を追い求めるか否かという選択は、生死を分ける問題だ。」ODB

2019年5月 4日 (土)

救われていない家族のために諦めずに祈り続ける

 

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「目をさまして、感謝をもって、たゆみなく祈りなさい。」 コロサイ書4:2

 

 

 ケビンは涙を拭いながら「おふたりを励ませればと思って」と、一枚の紙切れを私の妻に見せました。私たち夫婦は、娘がイエスを信じる信仰に戻ってくるように祈り続けてきました。ケビンは、母の死後、彼女の聖書の中にその紙を見つけたそうです。「息子ケビンのために」という文字の下には、彼の救いを祈る祈りの言葉が記されていました。

 

 

 「今は、この紙を自分の聖書に挟んで持っています。母は、私の救いのために35年以上も祈りました。私は神から遠く離れていましたが、今はキリスト者です」。彼は目に涙をためて、私たちをじっと見つめながら言いました。「どんなに長くかかろうと、あきらめてはいけません。娘さんのために祈り続けてください」。彼の励ましに「いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために」イエスが語られた「不正な裁判官」のたとえ話を思い出しました(ルカ18:1、6)。

 

 

 彼は、しつこく頼まれるのが面倒で仕方なく裁判の要求に応じました。イエスは、この裁判官と完全なる天の父を比べておられます。神は、深い愛をもって、私たちがみもとに行くのを求めておられます。神は、私たちの祈りにいつでも耳を傾けたいと願っておられます。この真理に励ましをいただきましょう。

 

 

「救われるように、あなたが祈っているのは誰ですか。祈りがかなえられた話を聞くのは、どのように役立ちますか。」ODB

2019年5月 3日 (金)

ペンテコステの日

 

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 「ペンテコステ」は、旧約でも、新約聖書でも重要な意味がある。ペンテコステは実は、旧約聖書で、「七週間の祭り」(レビ記23:15,16;申命記16:9)として知られていた祭りのギリシャ語の名前である。 ギリシャ語で五十という意味で、過ぎ越しの祭りで奉献物の束を持ってきた日から50日過ぎたことを述べている。七週の祭りは、穀物の収穫の終わりを祝う。しかし、最も興味深いのは、ヨエルと使徒の働きでのペンテコステということばの使い方である。ヨエルの預言(ヨエル2:8-32)を振り返って、キリストが昇天される前の最後の聖霊を送るという約束(使徒伝を1:8)を前方に見ると、ペンテコステは教会時代の始まりを告げるしるしである。

 

 

 ペンテコステの日に起こった実際の出来事に関する唯一の聖書記録は、使徒の働き2:1-3である。ペンテコステは最後の晩餐を思い出す。その二つとも、弟子たちが重要な出来事となることのために家に集まっていた。最後の晩餐では、弟子たちが、メシヤの地上での働きの終わりを目撃した。イエスは自分の死後、再臨まで、その死を思い出すようにと弟子たちに告げられた。ペンテコステでは、弟子たちは、すべての信者に内在される聖霊が下ることで、新約聖書の教会の誕生を目撃した。 こうして、弟子たちがペンテコステの日に屋上の間に集まっている場面は、聖霊の、教会での働きの開始を、十字架刑の前に屋上の間に弟子たちが集まっていた時にキリストの地上での働きの終わりを告げたことと結びつける。

 

 

 ペンテコステの記録での炎と風についての叙述は旧約と新約を通して知れ渡っている。ペンテコステでの風の音は、「激しい風が吹いてくるような響き」があった。 聖書には風の力(必ず、神の支配のもとにあると理解されている。)のことが多く出てくる。旧約聖書では、出エジプト記10:13;詩篇18:42;イザヤ11:15、新約聖書ではマタイ14:23-32などは、ほんの少しの例である。力としての風よりももっと重要な意味があるのは、旧約聖書の命としての風と(ヨブ記12:10)新約聖書では霊としての風(ヨハネ3:8)である。第一のアダムが肉体的いのちの息を受けたように、(創世記2:7)第二のアダム、イエスは霊的いのちの息をもたらしてくださる。聖霊によって生ずる霊的いのちという考えは、ペンテコステでの風に確かに含まれている。

 

 

 火はしばし旧約聖書ではしばしば神の臨在と(出エジプト記3:2;13:21-22;24:17;イザヤ10:17)神の聖さ(詩篇97:3;マラキ3:2)と関係している。同様に新約聖書でも、火は、神の臨在(へブル12:29)と神が人間の人生にもたらすことのできるきよめ(黙示録3:18)に 関係している。神の臨在と聖さはペンテコステの「炎のような別れた舌」にも暗示されていまる。実に、火はキリストご自身と同一にみなされている。(黙示録1:14;19:12);この関係は自然と、ペンテコステの聖霊の賜物の基礎となる。聖霊は弟子たちにキリストについて教える。(ヨハネ16:14,15)

 

 

 ペンテコステの日のもう一つの面は、様々な言語の人たちが使徒たちのメッセージを理解できるようにした外国語を奇跡的に話すことであった。それに加えて、ユダヤ人の聴衆に向けてのペテロの大胆、かつ痛烈なメッセージである。聞く者たちが「心を刺され」た(使徒伝2:37)ので、このメッセージの効果は力強いものであった。そしてペテロは彼らに「悔い改めなさい。、、、そしてイエス.キリストの名によってバプテズマを受けなさい。」と語った。(使徒伝。2:38)その結果、3千人が弟子に加えられ、パンを裂き、祈り、使徒のしるしや奇跡がなされ、すべてのメンバーの必要が満たされる社会ができた。(GQO)

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